4月です。仕事がボッコんボッコン無くなって健康的に引きこもっています。
これからはポストコロナの時代になるんでしょうね。
第二次世界大戦レベルの出来事なんだろうなぁ、と起きていることの重大さと
身の回りの生活の変わらなさ、そのギャップに心が追いついていないのか
はたまた諦めがついているのか、随分と穏やかに過ごしています。
ポストコロナの時代。
SDGsとかが叫ばれているけど、自然との関わり方をちゃんと考える時代に入っていくんじゃないかな、と思いました。
前から薄々と思っていたことではあるのですが、↓の記事を読んで尚更。
https://synecoculture.org/blog/?p=2640
2月くらいからウチの猫が腎不全を患いまして。
一時はもうダメかな?と感じるような時期もありましたが、自宅輸液などで多少持ち直しヨタヨタしながらも日々日向ぼっこしたり、寝たりしています。
この小さな命を延命させるか否かも飼い主の判断次第なんだな、と。
しかし果たして本人(本猫?)は生きたいと願っているのか?苦しくないのか?
去勢して家族として迎え入れ、死を目前にした時も飼い主の心情如何で延命させられ続ける。
人間てなんとも傲慢なものだなぁと鬱々とした日々もありましたが、ベランダで何をするでもなくただ日向ぼっこを気持ちよくしている姿を見るのは美しく、自分の寂しさをごまかさずにあれ、と思うのでした。
生産性や有益さや価値がなくたって、生きていてほしい、在ってほしい。
無価値の価値。
今回のCOVID-19騒動で思わされています。
ポストコロナの時代。
多分一つの境を超えて、それはもう戻れない境のように思えます。
それは9.11だったり3.11だったりと同じで。
これからそんな時代を生きていく上で、無価値の価値、考え続けて生きます。