2013/05/16

嘘とリアルと本当。

ご無沙汰しています。
入院初日にアップして以来、放置でした。
負傷から早3ヶ月、手術からはや2ヶ月、
明日の検診次第でジョギングの許可が出るかな〜という具合です。
膝自体は手術痕の痛み(?)はあるものの、
運動性能自体に支障は無さそうな雰囲気。
まだ跳躍とか試していないので何とも言えませんが
跳躍力落ちまくってたらやだなぁ…


今日帰りのバスに乗りながらふと

役者に合わせる「当て書き」という脚本の書き方があるのなら
ダンサーに合わせて振付けを作る「当て振り」という考え方もあるのでは?

と思い至る。
ちなみに当て振りhttp://ja.wikipedia.org/wiki/当て振りというものは実際ある。
ダンスでその人らしい動きが欲しい場合、
振り作りはその人に投げちゃうパターンが多い気がするのですが、
そんな中で他人がその人っぽい動きを「当て振る」には
動きの分析やらなんやらってことになるんかなー、とボーッと考える。
〜っぽい動きというのはよく見かけるし、そう感じることもあるから
不可能なことではないのだろうな、と思う。

そもそもダンスとか、身体というその人自身の器を使う時点で
その人が踊る以上その人の踊りになってしまう(≒当て振り)になってしまう、
てことなんじゃなかろうかというとりあえずの結論。


あと「当て書き」の定義はイマイチよくわかっていないのだけど、
(参考 http://ja.wikipedia.org/wiki/三谷幸喜#.E4.BD.9C.E5.93.81.E3.81.AE.E7.89.B9.E5.BE.B4)
「当て書き」の狙いとしてはよりリアリティーを持たせる、
ってことなのかな、と考える。

それらを踏まえて思ったのは…
ここ半年くらいことある毎に脳裏をよぎる、大学時代の教授の言葉で
「演劇をやっていることで『嘘つき』呼ばわりされた」
というのがある。
なんだかとても印象に残っていて、この言葉について考えてしまっています。
演技はどうしても嘘、というか虚構がつきまとうのはなんとなくわかる。
若い役者が老人を演じるのは違和感≒嘘に思う、ということとか。

じゃあ例えばAさんが「Aさん」を演じる、ということと
Aさんが踊る、ということがあった場合。
どちらがより「本当」のことなのだろう、と考える。
なんか色々脱線し始めちゃっているので多分結論は出ないのですが、
そのへんに「演技」とか「ダンス」のうま味というか、
「なにか」がありそうな感じがするなー、と思ったのでメモ的に。

演技することが嘘だといわれること、ダンスの方がなんか真実味がある感じ、
でも嘘っぽいダンスもあるよな、という感触。
身体という同じその人自身という器を使うという点は同じはずなのに、
生まれるこの差はなんだろう。
最近この「嘘」とか「本当」というものと舞台の関わり方に
興味がある。

舞台で観たいのは「本当」のことなのか?
「本当」のことなんて日常生活の中でいくらでも観られるのに。
でも舞台で「嘘」を見せられるのも何か違和感がある。

たぶん舞台で観たいのは「リアル」ということなのかな、と思う。
個人的に「リアル」という言葉は前提として虚構性がある。
若い役者が老人を演じるのは「嘘」だけども「リアル」にはなり得る。

ダンスの場合、力学的に動きを繋げれば「本当」になりやすいから
なんとなく「本当」な感じがするんだろうな。
逆に演技的な要素とか感情的な要素を入れようとすると
難しいと言うか、「嘘」っぽくなりやすいというか…
だからそこから動きへ逃げがちなのかもな、と思う。
というか、これはsynapseの作品に参加して思ったこと。
そのへんを考えればダンスにやれることはまだまだある。
新しいテクニックを導入するだけじゃなくてね。


なんだかまとまらないまま書き始めて、結局まとまらなかったのですが
無理矢理まとめると「嘘」とか「リアル」とか「本当」ていうことを
大事にしていきたいなー、と思ったのでした。