2011/12/31

変わらない、流されない。変わる、流される。

色々あった2011年も今日でお終い。
地球はいつもと変わらずに一回転するだけなのに年が変わったり、
一日が過ぎてまた朝が来て、また夜が来る。
ある線をまたぐと昨日が明日になったり、今日が昨日になったりする。
勝手に人間が決めた「時間」に関することがとても面白く感じた一年でした。
時間という区切りを作らないと人間は生きていけないのかな、とも思ったり。

震災を経て、一日一日を大切に生きようとか
しっかりしなくては、という変化は自覚的に
起こしているわけではないけれども
日々耳に入るニュースや目にする映像によって知らず知らずのうちに
意識は刷り込まれるように変わっているような感覚。

変わっていないようで、変わっている感覚。
流されていないようで、流されている感覚。

とくに大きな変化は個人的にはなかった1年。
でもきっと無意識のうちに人間は変わっていて、
そのことに鈍感にならないように生きていくしかないなぁ、
と思います。
気付かぬうちに変わっていく、変化に鈍感であるということに対して
鈍感にならないこと。

しかしまぁ来年も今出来ることを
今やっていることを全力で丁寧にやるしかないです。


本当に色々あった2011年。
ウサマ・ビンラディンもカダフィ大佐も金正日も亡くなった。
過去の延長線上としての現在と、現在の延長線上としても未来を
色々知らないうちに背負っている、背負わされているものに鈍感にならず
頑張ります。

今年一年お世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。

良いお年を。




東日本大震災から9ヶ月と20日。

死者数     15,844人
行方不明者数        3,451人

(12月29日現在 警視庁調べ)

2011/12/15

思春期に、少年から大人に変わる、らしい。

個人的には賛同しかねるんですけどね。
男の子はどのタイミングでいわゆる「大人」になるんでしょうね。
女の子は身体の成長とともに大人になっていく感じがするんですけど
男の子はいつまでも子どもな感じ。
多分「自覚」しないと「大人」になれない気がする、男の子。
そもそも「大人」がなんなのか、よくわからないわけですが。
個人的にはマンションの向かいに住んでいる小学生の女の子がいるのですが
例えば彼女から見たら自分は圧倒的に「大人」なわけで(実状は別として)
ちゃんとした「大人」をしなきゃいけないなぁ、
と個人的には思っているわけです。

話が頭から脱線しました。

10月の下旬から中学校の体育の授業で「創作ダンス」の指導アシスタントを
していまして、本日それの最終日、発表会でした。
来年度から体育の授業でダンス・武道が必修化されるらしく
そのテストケース?として。

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr110428e.htm
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr110428e/besshi1.pdf

いやー、大変でした。
なんせ相手は思春期まっただ中の中学3年生。
恥ずかしがったり、妙に幼かったりで話聞かなかったり、
諸々違った対処法を求められる生徒たち。
面倒くせぇ!っていう感じでした。
でもクリエイションが始まって、それまで全体で接していたのが
グループごとの作業になったことで個々に対処しやすくなり
最終発表会のときには見る側もやる側もいい態度で
終わりよければ全てよし、という感じでした。

正直彼らにとっていい経験になったのかどうかはわかりません。
興味をもってくれた子もいるかもしれないし、
もうやりたくないという子もいるかもしれない。
きっとすぐ忘れてしまうような子もいるだろう。
でもそもそも自分のやっている活動は今回やったような「教育」という
枠組みの中に限らず、そうゆうものなのかもしれない。
結局どのような成果があるかは受け取る側次第。
心が動かされる人もいるだろうし、離れていく人もいるだろう。
それを強いることも求めることは出来ない。

こちら側に出来ることは「与える」ということだけなのだと思う。
もちろんそこには相手とのコミュニケーションが成り立っていたり
ということはあるかと思いますが、
与えたものがどうなるか、どう捉えられるかはわからない。

でも少しでもよいものが与えられるように、心を動かせるように努めないと。
それは考え続けないといけないこと。
何かの「ひっかき傷」が作れるかどうか、ということ。

とにもかくにも、色々学ばさせていただきました。
受験勉強頑張れ、中学生。

2011/11/29

私たちは何かを語らなくてはいけないのだろうか?

一昨日の夜、深夜バスに揺られ仙台へ。
日帰り石巻探訪。


2011年3月11日、未曾有の大震災が東日本を襲ったとき
自分は金沢でGRINDER-MAN「SONAR」の公演中でした。
東京の人間でありながら、東京で起きたことから疎外された感覚。
大震災に対して他人事のような感覚。
震災から8ヶ月以上たった今でも埋まらないそのような感覚。
その感覚を少しでも埋めたいと思い、
先日やっと被災地へ足を運ぶことが出来ました。


仙台市内でレンタルバイクを借り、石巻へ。
先月ボランティアで石巻に行っていたGRINDER-MANタグチさんの情報を基に
石巻の先、牡鹿半島まで足を伸ばす。


仙台市市街地は何事もなかったような活気にあふれ、
石巻駅周辺市街地も震災の翳りを残しつつも、落ち着いた雰囲気。
しかし旧北上川、石ノ森萬画館を超えたあたりから雰囲気が一変。


まずにおいが違う。


ヘドロのような、動物園のようなにおい。


更地。
「なにか」が「あった」更地。


がれきの山。
「なにか」の成れの果てとしての残骸。


牡鹿半島に入り、トンネルを抜け曲がりくねった山道を進む。
崩落した道路
片道交互通行、工事用信号の赤いカウントダウン
青い「Go」の文字
「女川原子力PRセンターまであと○○km」の標識
暗がりの仮設住宅


当初の予定では半島の突端、鮎川まで行こうと思っていたのですが
ガソリンの残量が心許なかったので途中の荻浜の住宅跡地に停車。
しばらくボーッと、風景を眺める。
目の前に広がっているのはテレビや写真で見たことのある風景。
その惨状に対してはとくに驚きはしませんでした。


ただ、ものすごく静か。


すぐそこに見える海も、山からも何の音もしない。
何の気配もしない。
車が通り過ぎていくときに遠くから聞こえてくる音が近づき、離れていく。
昔観た舞台で「死ぬというのは音を立てなくなるということ」という
言葉があったのを思い出す。
あまりに静かだったので膀胱の栓を緩ませて立ち小便を。


正直、視覚に関しては映像や写真に慣れさせられてしまって驚きはなかった。
カメラも持っていたけど、改めて写真に撮るような気もさほど起きなかった。
でも聴覚・嗅覚・触覚で震災を感じることが出来、来た意味はあったなと
実感しました。




今回の探訪で一番印象に残ったこと。





















「喪中はがき 印刷承り中」


ものすごく強烈な言葉でした。
何の変哲もない、日常的な文章なのかもしれませんが。
とても悲しい感じがする一方で、時間が一方向へ流れていく中で
前を向いて進んでいくような力強さも感じました。
あと1ヶ月もすれば2011年も終わり、新しい年になります。
色々な経験や記憶が風化する中、色々ありましたが元気でやっています、
これからもよろしくお願いします、という挨拶としての手紙。
そこになにか強い意志を感じました。
いや、実際そこまでのものが込められているのかはわかりませんが。
でも喪中の挨拶はメールで、2進法のやりとりでされるべきではなく
やはり手紙で伝える、ということが大事なのじゃないかと。
うまく伝えられないのですが、
被災地で、生活に身近なコンビニという場所で
喪中はがきの印刷を承っているという貼紙があること。
そのことに強く心を動かされました。


国道45号をひたすら走って仙台へ戻る。
途中沿道に広がる広大な田畑を横目に見ながら。
やたら寒かった。
やたら長い夕暮れに感じた。
14時くらいから夕方のような日の傾き具合。
やたら寒かった。
でもそれが良かったような気がします。




震災直後、多くの作品が自粛。
こんな有事の際に不謹慎だ、ということだったり計画停電という理由で。
「そんなこと」をやっている場合じゃない、ということだったのだろう。
でも自分たちのやっていることは「そんなこと」でしかないのだろうか。
有事のときに「こそ」作品を作ることに意味がある、
という人もいたかもしれない。
でも平時のときに意味がない作品はきっと有事のときにも意味はない。
だから「力」のある作品を常に作らなくてはいけないのだと思います。
作品の「力」が何なのか、はわかりませんが
人の心を動かす作品、それは少なからず「力」がある作品と
言えるのではないかと思います。
「そんなこと」ではなく「力」をもった作品。
作る側として、作品に関わる以上はそのことを気にしていたいな、
と思いました。


震災後、震災に対してのリアクションを求められた気がします。
「やる」のか「やらないのか」という大きなことから
どのような作品を作るのか、ということなど。
でもいちいちそんなこと、気にしなくてもいいのかな、と思います。
語ることがなければ、語らなければいい。
無理に語れば、騙ることになる。
語ることがなくても「力」をもった作品なら、それでいいのかもしれない。
変な使命感にとらわれる必要も、ないと思います。
自己満足と、マスターベーションと言われることもあるかもしれません。
でも以前西田シャトナーさんがつぶやいていたように
「あいつのマスターベーション、すげえ!」となるような作品を作ればいいと思う。




たぶん自分は震災に関しては何も語れない。
たいした体験もしていない。
被災地に行ってもみたけれども「他人事」という域を超えられはしなかった。




ずいぶん長々と、色んなところに散ってしまった内容。
結論としては震災はやはり自分にとって「他人事」だと思う。
上手く言えないし、まとめられていない気もするので
誤解を招くこともあるかと思います。
でもその「他人事」とちゃんと向き合っていこうかと思います。



2011/11/24

たがため。

日曜日まで大阪は阪南市へ行っていました。
9月に公演でお世話になったDance Theatre LUDENSが財団法人地域創造の
公共ホール現代ダンス活性化事業というのに参加していて
そこで「1 hour before sunset」をやるということで
出演者&アウトリーチ・WSのアシスタントとして。

色々考えさせられ、やる気を頂いた5日間でした。

劇場ではWSを行い、作品のクリエイション・発表を。
作品は今年の2月に吉祥寺で上演したLUDENSの作品「Anonym」から
いくつかシーンを抜粋し、ベースにした作品だったのですが素敵でした。
2月の「Anonym」は観客として観ていたので作品自体を知っていたというのも
あるのかもしれませんが、今回のWS作品も素敵な作品でした。

WSクリエイション作品はいわゆる「コミュニティダンス」と
呼ばれるものだと思うのですが
その作品に多少携われたことで「ダンスとは何か?」ということを
考えさせられる。

一般の、とくにダンスの鍛錬をしていない人間がダンスを踊るということで
生の、剥き出しのその人が立ち表れてくる。
「ダンサー」としてではなく、その人自身が踊っている感じ。
それがとても素敵でした。
舞台に立つときにどこかスイッチが入ってしまい、
無表情で、よく動く、純粋な「身体」としての「ダンサー」に
なってしまいがちなもの。
自分もそうなってしまうことがあるし、舞台を見ていても
「あー…自分の世界入っちゃってるなー」というのがよくある。
「ダンサー」感がなく、その人自身が踊っていてとても良かったなぁ、と。
正確に言うと、自分の世界に入っちゃっている部分
あったのだと思うのですが、動きに「意思」を感じたというか、
自分で舞台に立っている感じがすごくよかったです。

今まで稽古などで「意思」で立つとか、「意思」で動く、
ということをよく言われてきたのですが
そのことを客観的によく見れ、理解が深まりました。
その人が「意思」を持って動くこと、それが「ダンス」なのかな、とか
「私」を操縦することが「ダンス」なのかな、とぼんやりと考えたり。
まぁ答えがあるわけではないのですが。

ただ、このコミュニティダンスというか、一般の人のWS発表作品て
観ていて面白いものなのだろうか、という疑問が。
ダンスをやっている人間にとっては新鮮味があったり、
「ダンスとは何か?」とか「ダンスは必要なのか?」といった
よく俎上に乗るダンスの存在意義を証明してくれるような気がして
いいのかもしれないですけど
それだと「ダンサー」のために「一般の人」が踊っている感じ。
自分の感想がやたらと好意的なのもダンスをしている人間だからだと思う。
「一般の人(観客)」のためになっていたのだろうか、という疑問。
現に「よくわからなかった」と表明してくれた人もいたわけだから。
(でも「よくわからなかった」=「わかろうと努力した」結果→興味あり?)
WS受講者の方は皆「とてもいい経験だった」と言ってくれるし、
それは嘘じゃないと思う。
となると「ダンス」は「観る」ものではなく「踊る」ものなのだろうか?


踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々


ってこと?
「ダンスとは何か?」という「ダンス」の存在意義を考えていると
そこにたどり着くものなのかな〜
そしたら作品として観せる「ダンス」は何を目指せばいいのやら…

なにやら自分でも書いていてよくわからないし、
そもそもこの記事書き始めたの一昨日なのに未だまとめきれてないしw
まとめると、色々考えるきっかけが出来てよかったです、てことで。


しかしながら今回WSやアウトリーチを通して
WS終わりとかに講師の方が「こちらも沢山学ばせてもらいました。」て
よく言うけどそれは本当なんだな、と実感。
こんな感想でいいのかw

でもそれは本当のことなのだ。


2011/11/11

今日は。

2011年11月11日。
THE1並び。
ポッキープリッツの日、だそうです。
もしくは、東日本大震災から8ヶ月。

今日は朝から地元の駅で人身事故。
帰りも中央線で人身事故があったらしい。
先週も人身事故があったし、ほぼ毎日人身事故が起きていると思う。
年間自殺者数3万人、日で割ると一日およそ100人。
大震災が起きて、1万5千人近くの方が一度に亡くなっているけど
毎年3万人が自殺している。
ついつい忘れがち。

http://www.t-pec.co.jp/mental/2002-08-4.htm

どっちがどっち、ということではない。
1つの死は、1つの死。
忘れがちだけど。

今日はポッキープリッツの日。
満月。
忘れがちだけど東日本大震災から8ヶ月。

人間は忘れがち。
忘れられるから生きていける、っていうのはあながち嘘ではないと思う。
色々忘れながらも、しっかり生きるということ。



今月末に、仙台の方へ行ってこようかと思っています。
ボランティアとかではなく、ただ行くだけです。
まずは、行ってみます。

2011/10/22

車はあくまでも、快適に暮らす道具。車に乗らないといけないわけではないぜ、イェーイ。

今日を持ちまして、我が家から持ち車がなくなりました。
理由は維持する余裕がなくなったので。
コレからは時代の流行に乗っかって、カーシェアリング!
最近滅多に乗らないですしね、車。

ということで、20年ばかし我が家の足として活躍してくれたVOLVO 240GL、
通称「ボルボちゃん」「ボロボ」とお別れ。
物心ついた頃からずっとこの車だったので、感慨深いものでした。

VOLVOといえば頑強な車体。
この存在感。














ズドーン。















ババーン。


うん、カッコいい。
基本モノは流線型が好きだけど、この無骨さはイイ。

この先自分で車を持つことが出来るのか、
はたまたそんな機会があるのかわかりませんが
そのときはまたVOLVOシリーズにお世話になるのもいいかも。
最近のVOLVOはちょっと流線型がかってますけどね。

そうゆうことを目標に頑張ってみるのもまた、一興か。

とにもかくにも、20年弱お世話になりました。

2011/10/11

7ヶ月。

東日本大震災から今日で7ヶ月。
朝日新聞から死者数、行方不明者数の表記は無くなりました。
舞台で忙しくしている間に表記しなくなっていたみたいです。
10月3日以前のどこかで。

なので、もう節目のごとくブログに綴っていくのは今回で一応終わりにします。
これから本格的な風化が始まっていくのだろう。
でもことあるごとに思い出すよう、考えることを心がけます。

そして7ヶ月目の今日、こんな作品が始まりました。

「Referendum-国民投票プロジェクト-」
http://www.referendum-project.com/


一昨年の「個室都市東京」の劇評を書いたのをきっかけに
去年の「完全避難マニュアル」に参加させていただいたPort Bの作品。
高山さんの作品は演劇以外の要素を巧みに「演劇」へ引用するので
普段舞台観ないという人も楽しめるのではないかと思います。
難しい、と毛嫌いされるタイプの作品でもあるみたいですけどw

別に「脱・原発!」ということではなく
考えるきっかけになればいいんじゃないかと思います。
そして、たぶんきっかけになる何かを提示してくれるような気がします。

その作品を見る前と後で世界が変わって見える、何かが変わる、
それがアートなんじゃないか?みたいなことをGRINDER-MANのタグチさんが
言っていたような。
その通りだと思います。

2ヶ月作品制作していたので現在かなり金欠気味ですが
今月来月は観たい作品が結構あるので
スケジュールぬって、無い金しぼって、観たいと思います。

2011/10/04

アスリートと舞台人。

今日SASUKEをちらちら見ていた。
いつも1stステージと3rdステージは見るけど、
2ndステージは見逃していることが多い気がします。
お正月と秋にやっている、そんなSASUKE。

Mr.SASUKEこと山田勝己さんという方がいるのですが、
ここ数年は1stステージ(というか大体反り立つ壁)でリタイア。
自宅に仮想SASUKEステージを組んだり、
鉄工所の仕事をリストラになり、奥さんの実家でアルバイトしながらも
日々鍛錬し、SASUKEに挑み続けるもここ数年は1stステージリタイア。
いつしか笑いのネタになっていました、個人的には。
TV番組の企画に生活を捧げるも、なかなか成果を上げることの出来ない
一般人の姿が滑稽に見えてしまって、笑えてしまうのでした。
「SASUKEに人生をかけちゃダメだ。」
そんなフレーズが口をついて出るくらい、ネタ化していました。
こうやって書くと最低な人間ですね、自分。

で、今日もその山田さんは出ていたわけで。
で、いつも通り反り経つ壁の前にリタイアしてしまったわけで。
ほぼ毎回反り立つ壁でタイムアップを迎えてしまう姿は
悲しくも滑稽であったわけですが、
端から見たら日本の役者やダンサー、舞台人もそのように見えているのかもな
とふと思ったわけです。
アルバイトや非正規社員がほとんどで、日々稽古やトレーニング。
でも結果を残せるのは一握り。
そんな不安定な生活。
もちろん舞台における結果というのは
スポーツやSASUKEのようにわかりやすいゴールや順位が
出るものではないにせよ、生活を捧げている、という点は同じ。
むしろ成果・結果が順位などで表れない分、余計に滑稽なのかもしれない。

そんなことを思いながらSASUKEを見ていると、
靴の営業マン・漆原さんがみごと完全制覇。
靴の営業という本職をしながら日々トレーニングを重ね、
アスリートとしての成果を。
キチンと定職に就いて仕事しながらも
自分のやりたいことをやっている人がいる。
自分は定職に就かず、自分のやりたいことをやっている。
はたして自分は定職につきながらも
やりたいことをやろうとしている人たち以上に
やりたいことに時間を、力を注いでいるのだろうか、とふと考えさせられる。

スポーツと舞台などの創作を単純に比べることは出来ないだろうけど、
もっと自分頑張らないといけない気がしました。

作品を作るうえで稽古は行われる。
質の良い作品はきっと質のいい稽古から生まれる。
質のいい稽古はきっと質のいい参加者から生まれる。
では質のいい参加者でいるためには?
日々鍛錬するしかないんだろうな、きっと。

なので、日々鍛錬を頑張ろうと思いました。
SASUKEを見て。

それにしても久しぶりにゆったりと家でテレビを見た気がしました。
7月下旬からずっと稽古→出演本番→裏方本番と10月まで
ズラーッと続いていたので。
今年いっぱいはちょろちょろと忙しい感じで大変ありがたいのですが
ちょろちょろと、自分で動き出そうと思います。

2011/09/23

弱い26。

本日無事に26歳の誕生日を迎えることができました。

「おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」

26歳と聞くと、もうすっかり立派な大人な気がするのですが
全く大人になれているような気がしません。
まだまだヒョロッヒョロの青二才です。

そもそも「大人」とはなんなのか。
20歳以上というある線を超えたらなる、というものでもないだろうし
社会人として働いているから、というわけでもない気がする。

ひとつ思っているのは「責任」を自覚しているか、ということなのかな、と。
こないだの「1 hour before sunset」で舞台に立つということや
色々考えさせられる中でそんなことを思いました。
「責任」を自覚し、それを果たそうとしているか。
それが「大人」としてひとつ大事なことだと思うし、
そうゆうことが出来ている人を「大人」と感じるように思う。

明日から映像スタッフとして参加している公演が幕を開けます。
「責任」というひとつのキーワードを胸に
丁寧に頑張ろうと思います。

責任を自覚した「大人」、純粋なエネルギーとしての「少年」。
その2つを目標としているのが「大人少年」ということ、なのかもしれない。
酒の入った頭でキーボードを叩いているので
イマイチよくわからないが、その「大人少年」ということを目標に
26歳からまた少しずつ動き出そうと思います。
口先ばかりじゃカッコ悪いので、ここに書き記し、頑張ろう。

まずは明日からの舞台を、頑張ろう。

2011/09/22

台風が蝉を吹き飛ばしていったような。

静かな夜。
もう秋ですかね。
東京では近年稀にみる激しい台風でした。
沖縄の台風を思い出しました。

Dance Theatre LUDENS 公演「1 hour before sunset」無事終了しました。
観に来る人みんなに「痩せた。」といわれるような、ハードな舞台でしたが
課題としてきたことに挑戦できたり、また新たな課題が見つかったりと
参加できて本当によかったです。
共演者の皆様、スタッフの皆様、ご来場頂いた皆様に多謝。





で、公演の余韻に浸る間もなく昨日から別の舞台にスタッフとして合流。
明日から早くも小屋入りです。
うーむ、なかなかにハードw

2011/09/12

6ヶ月、10年。

東日本大震災から今日で6ヶ月。

死亡     15,781人
行方不明     4,086人

(警視庁まとめ 9月10日現在)




6ヶ月前、金沢で公演中でした。
公演初日の、プレス向け公演が終了して一息ついていたら、長い周期の揺れ。
あー、揺れてるなー、程度でした。


家族からメールがあったりなんだりで、
よくよく情報を集めてみたら大震災。
東京の人間でありながら、偶然金沢にいて、大きな被害にも遭わず。
東京の人間でありながら当事者感覚のないまま。
東京電力福島第一原子力発電所が大変なことになっていても、
どこか当事者ではない感覚。


良くないことだろうとは思っていても、どうしたらいいのやら。
変わることなく日常は流れていくし、
日常が変わっていないかのごとく装われているようだし。
それを隠蔽というのか、忘却というのか、わかりませんが。


日々福島第一原発では作業が進んでいるがなかなか情報は耳に入ってこない。
http://www.47news.jp/47topics/e/201888.php
時間は確かに進んでいる、少なくとも6ヶ月は経過している。


今「思想地図β2」という本を読んでいる。
なかなか読む時間がなく、ゆっくり読んでいるが
巻頭言に「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」とある。
というよりも「ばらばらである」ことがわかってしまった、と。
確かにそうなのかもしれない。
震災当初感じた、「いま」「ここ」のことしかわからない、
という感覚に似たもの。
「時間」や「距離」の差は絶対的にある。
そこを飛び越えられるのが「想像力」なのかもしれない。
だから「想像力」が大事、っていうことか。


明確にわかることは「いま」「ここ」のことだけ。
だからその「いま」「ここ」を大事にするべきということか。


1ヶ月ごとに区切りのように記していますが、とくに日常は変わらない。
だけども自戒の念も込めて、何かを考えることで日常にちょっとした歪みを
与え続けていくことをとりあえず続けます。


正直まとめられている気がしないのですが。
まとめるつもりで書いてもいないのでしょうがない。






そして今日は10年目。
正義とか悪とかよくわからなくなり始めた、2001年9月11日から10年目。
当時は高校1年生か…
ウサマ=ビンラディンは殺害されたし、10年経ったけど
終わった、ていうことではないのだと思う。






10年とか、もしくは1日とか、もしくは1時間とか。
「線」を引くことはできるし、「線」があると便利。
「線」がなければ延々と続いている連続性があるし、地球は回っている。
「線」も別にどこに引いたっていいのかもしれない。
だけども「線」がないとどこか不安なのは
永遠に続くような感覚が、終わりのないような感覚が恐ろしいのか。
唯一明確な「線」は「死」だったり?


なんだか今やっている作品と無理矢理つながっている感覚。
疲れた身体に深夜の脳味噌だから最早よくわかりませんw




とまぁ2011年9月11日はそんな感じでした。
と、無理矢理まとめてみる。

2011/08/23

蛍光灯と白熱灯。

蛍光灯は平面的に照らすので、影が生まれにくい。
白熱灯は光を集中させやすく、影を出しやすい。

フラットに平等に照らす蛍光灯、現代社会ってそんな感じかしら、と
http://togetter.com/li/177689を読んでいたら思ったのでした。

言葉は関係性の中で選ばれ、使われていく。
厳しく言える相手にしか厳しく言えない。
相手のことを思っていないと祈りの言葉は出ない。
関係性なんて相手によって変わる。
でもその相手って言うのが
「どこでもない場所」「どこにでもある場所」であるネットの
普及によって「みんな」になってしまった感じか。

関係性っていうのは「わたし」と「あの人」というよりも
「わたし」と「あなた」というところから出発すべきものかと思う。

「あの人」のことを考えるあまり「わたし」から「あなた」への
言葉が戒められるのはどうなのだろうか。
解答はわかりませんが、回答は色々あっていいと思います。

何事も当事者にしかわからない。
でもそこで諦めるのではなく、想像を働かせることは大事。
想像は過剰に人に押し付けるべきではない、
ってことだろう。

正義は自称、悪はレッテル。


思うままにつらつらと。

2011/08/14

5ヶ月。

東日本大震災から一昨日で5ヶ月。

死亡     15,690人
行方不明     4,735人

(警視庁まとめ 8月11日現在)





行方不明者数が4ヶ月の時点から609人の減少に対して、
死者数の増加は140人ということは生きたまま消息が判明した人も
いるということなのでしょうか。
そうだとしたら希望は捨てられない、
しかし希望を持ち続けるのもなかなかに残酷。


震災から5ヶ月目はお盆。
死者のことを想いながら過ごす、日本の良い風習と思います。


盆踊りは死者に「わたしは元気です」と伝えるために踊るそうです。
花火は慰霊の意味もあるそうです。
だから夏に花火やるんですかね?
夜空への映え具合だったら冬のほうがいいだろうし。


夏と死者は関係が深い。
別にそれは怖い、という話ではなく。
大学時代にやった舞台、イヨネスコの「犀」に死者の数は増えていく一方だ、
みたいな台詞がありました。
人類の歴史始まってからの累積死者数は当然今を生きている人間よりも
圧倒的に多い。
自分1人が生きている影に何人もの死者、
言い換えるのなら先祖がいる、ということ。


そんなことを考えてみると、雑には生きられない。
頑張ろう。



2011/08/08

8月になってしもうた。諸々報告とお知らせ。

どうも。
気がつきましたら8月です。
暑かったり突然豪雨だったりで自然と共存するのは大変だ、最近の夏。


諸々ご報告&お知らせを。


・ROCK IN JAPAN FES.2011のパフォーマンス無事終了。
事後報告になりましたが参加してきました、ROCK IN JAPAN FES.2011。
去年も共演させていただいたcapsuleのパフォーマンスに。
公演に出演させていただいたGRINDER-MANにお誘い頂きまして。

火花散らしたり、ガリガリのテクノチューンに合わせて踊ってきました。
去年よりも練習期間があったおかげもあり、落ち着いてパフォーマンスできたので
去年より進歩したのかなー、と個人的には勝手に思っています。
本番当日の様子、クイックレポート↓
http://ro69.jp/quick/rijfes2011/55812


Dance Theatre LUDENS 新作公演「1 hour before sunset」に出演します。
ただいまリハーサル中です。
9月の16〜19日です。
お時間ありましたらよろしくお願い致します。
詳しい情報はこちら


久しぶりに東京で本格的な公演。
2、3月は神戸・金沢だったのでお声がけしにくかったのですが、
今回は横浜。中華でも食べがてら海でも眺めがてら観に来ていただけたら幸いです。


今回初めてオーディションというものを受けての参加で
色々背負っている、ということを感じています。
やる以上はしっかりやる、最高のものになるよう努めます。




25歳の夏は海にも行かず、山にも行かず、稽古場通いの日々。
何か夏らしいこともしたいなー、という誘惑に駆られながらも
自分がやりたいことは何なのか、そのやりたいことの糧として、
今やるべきこと精一杯やってやろうと思います。


26歳になる前の、ひとつの区切りとして色々なことを考えながらの夏にするということで。





祀る。

今日NHKスペシャル 東日本大震災「東北 夏祭り〜鎮魂と絆と〜」を見て
やたら目頭が熱くなった。
日本の文化、日本人のことを誇らしく思いました。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/110807.html

日本にはこれといった宗教もないけど、「先祖」や「死者」を敬う文化は大事にすべきだと
とても感じたのでありました。
計画的避難区域への立ち入りがお盆前に認められ、
お墓掃除、お墓参りをしてまた仮設住宅へ戻った方もいたとか。

どんどん花火上げたらいいし、どんどん祭りをやるといいと思う。
元気がなければ何も出来ないし、前にも進めませんよ。


なんともまぁ、よくわからない日記になったかもしれませんが
いまの思いを記録として。

2011/07/26

A cicada。

昨日、地元の公園でテクテク歩いているセミの幼虫を発見。捕獲し、自宅へ連行。


















はい、ど〜も〜。にょきっと羽化してきましたよー。


が、その後、落下。


割り箸につかまらせて救出、植木鉢の枝へ。





翌朝




羽短っ!
落下した所為なのかわかりませんが
羽がしっかり伸びきらなかったようです。
飛べない蝉。

まだ植木鉢の枝につかまってたまに動いています。
メスかオスかもよくわかりません。


ちなみに、セミの成虫は大キッライです。

2011/07/23

ティー。

ジャスミンティー(さんぴん茶)に精力増強作用があるのなら、
沖縄は年中ギンギンってことなんでしょうか?


今日最寄り駅のFミーマートでの出来事。
一番よく使うコンビニなのですが、店員に「Tポイントカードはいいですか?」
と言われたのがなんかゾッとした。
「Tポイントカードはお持ちでしょうか?」っていうのと
「Tポイントカードはいいですか?」っていうのは似て非なるもの。
前者は「あなたが持ってるの知ってるんだけど、出さないの?」
みたいなニュアンスを感じたのでした。

そこまでポイントに執着していないので、
カード出したり出さなかったりなのでなんかゾッとした。

ただそれだけです。

あとhttp://tsite.jp/r/cpn/tj/entry.html?scid=yudo073pっていうプロジェクトが。
やろうとしていることはすごくいいなと思うんですけど、
逆に提示しないことに罪悪感覚える人が出てきたりするのかな、という邪推。

ただそれだけです。
なんとなく今日思ったことをつらつらーと書いてみました。

あとさっき公園でカブトムシ捕まえました。


以上。

2011/07/13

4ヶ月。

東日本大震災から昨日で4ヶ月。

死亡     15,550人
行方不明     5,344人

(警視庁まとめ 7月11日現在)





ずいぶん前から避難者数は表示されなくなったのですね、朝日新聞では。
6月11日のデモで震災に一区切りがついた、みたいな見方もあるみたいですけど
今日も原発の冷却装置が停まったりなんだりしていますしね、まだまだ復興へ動き始めたばかりと考えるべきか。
最近再び地震も起き始めていますし。


先日このような記事を読みました。
http://blog.goo.ne.jp/saruyamataro/e/bde71040b083a85da74b2308d7cc2723


こんな風に騒がれていたり。
http://2r.ldblog.jp/archives/4335748.html
http://togetter.com/li/110501


お偉い先生はこんなこと言っちゃうし。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110711/plc11071121050010-n1.htm


うーん、どうなんでしょうね。
アメリカの陰謀だろうがなんだろうが、亡くなっている人がいるし、今も大変な思いしている人はいる。
確かなことはそれだけだと思います。


夕方東の空にうっすら浮かぶ月がキレイだったり、入道雲がキレイだったり、
夜風が気持ち良かったり、とやはり自然は偉大で、畏怖すべき存在。
個人的にはコントロールしようなんて甚だしい、ということだと思うのでした。


自然はコントロールされない自然のままステキだ。

2011/07/10

妙な焦燥感に駆られて。

とくに何もないですけど、ブログを更新。


七夕が終わりましたね、いつの間にやら。
そして上半期も終わりましたね、いつの間にやら。
梅雨も明けましたね、いつの間にやら。


今日能を観たのですが、能ってすごいですね。
音楽あり、謡あり、舞あり…まさに総合舞台です。
能の舞台構成って面白い。


日本人の売りって「丁寧さ」「勤勉さ」「細やかさ」なんだろうな、
と能を観ていて何故か思った。
ので、そのへんを大事にしていかなあかんなーと思いました。


なんで関西弁になったのやろう。
むしろ関西弁なのか?これは。
そしてですます調もめちゃくちゃだ。毎度のことです、そんなことは。

収集つかなくなってきたので、このへんで。


2011/06/12

3ヶ月。

東日本大震災から今日で3ヶ月。

死亡     15,405人
行方不明      8,095人
避難     90,109人
(警視庁まとめ 6月10日現在)

今日はずいぶんとにぎやかに各地でデモがあったみたいです。
自分も渋谷でデモを見かけました。
でも何か違和感を感じずにはいられませんでした。
なにか「狂気」というか、切迫したものが感じられず、
どこか他人事で表層をすべっていくような感覚。

結局「当事者」ではない、ということを無意識的に感じているのかもしれません。

「被害者」ぶって声を荒げることはたぶんできる、けど何か違和感。
震災当日も東京にいなかったし、東京に戻ってきたときは街は暗かったりしたけど
とくに変わらずな、耐え難い非日常ではない日常が続いていて、
テレビの向こうからは被災地の映像が流れてくるけど、現実味がない。

今までとくに震災に対して自発的に何かアクションを起こそうということはとくになく、
状況を見守り続け、考え続けることをしようと思っていましたが
何か今回の震災に対して「体験」すべきなのかな、と最近思っています。

今朝のラジオで永さんが今新聞に出ている被災者数の情報というのが
いつ載らなくなるのか、それが注目すべき点だ、というようなことを言っていました。

風化していくということと、風化させていくということ。
風化させるべきことと風化させないべきこと。
そのへんを見極めるべく、なにか「体験」すべきなのかなぁと考え中。

2011/06/08

しっかり生きて、それから死になさい。

エヴァンゲリオンに出てくる台詞で一番好きな台詞です。

さっきTwitterのTL上に流れてきたので一気見。
http://www.youtube.com/watch?v=y9Q7kKzgenk

29年前の映画だけど、まるで今の日本のことのよう。
最後に出てくるカエルの話、笑えない。
でもどうしたらいいのだろうか。
自分たちが選んだ政治家の先生方はどうでもいい政局争いばかりしているし。
最近思うのは、日本人は政党政治が向いていない気がするので、
天皇陛下に権力を返せばいいと思うんですよね。
そのほうが諸々スムーズにいく気がするんだよな。
別に右だとか左だとかっていう話じゃなくて。


昨日日帰りで静岡県の三島まで行ってきました。
古い友人が現在闘病中なので見舞いに。
世間では恐れられている放射線、治療に使われている。
毒も薄めれば薬だし、薬も過剰になれば毒。


先日両親がある事件に事件に巻き込まれました。
原因は両親の過信と、息子のいい加減さ、だと個人的には思っています。
もちろん悪いことするヤツが圧倒的に悪いわけだけど。


これも先ほどTwitterのTL上に流れてきた話だが、
映画「パピヨン」で主人公は「人生を無駄にした罪」で裁かれるそうです。

なにも不自由なく、生きられる人間はしっかり生きなくてはいけない。
それが責任なのではないかと。すごいざっくりした表現だけど。
ここ一週間色々あって、そんなことをよく考えています。

ダラーッと最近の脳内を垂れ流し。

2011/05/23

編集される作品における覚え書き。

今日twitterのTLに流れてきた↓
http://togetter.com/li/138454


「きちがい」などいわゆる放送禁止用語の規制に関する子どもと大人の論争。
どのような文脈で、どのような意図で使うかってことなのだろうけど、
なにぶん言葉は普遍的な「意味」や「イメージ」を持っているので難しいものですね。


ちなみに個人的には「子ども」という言葉は意識的に使っています。
「子供」でもいいんですけどね、勿論。
大学時代に沖縄巡回公演に制作で行ったときの癖ですね。


言葉を取り替えること、言葉を隠すこと。
なぜ「隠す」のか、「隠す」ことで生まれてくるものは何か。
「隠す」ものが「晒される」とき、何が起こるのか。
「守る」ために「隠す」のか。何を「守る」?


色々脳内ぐるぐるぐーるぐる。


このtogettre上の論争は放送禁止用語、差別用語云々みたいな方向へ向かっていくわけですが
もともとのスタートは作品内における表現が編集されるということ、だと思うわけで。
そこで最近、同じくTwitter上で話題になったこと↓
http://togetter.com/li/130065


作品に加筆することである方向へ作品の意味が向いていく。
それがいいのか悪いのかはわからないけども、批評やレヴューもある種の答え合わせ、
意味付けのように個人的には思えます。
これもやはりどう捉えるか、ということなのか。


そこで明らかになるのは個人の価値観なんでしょうね。
一人一人違う価値観を持っていて、もちろん似た価値観の人はいるにしもて
絶対的に自分と他人には越えられない壁がある、と言いますか。


なにかのキャラクター、仮面をつくってあたかも自分ではないものに「なる」ことが
できるような錯覚があるような気はしますが、自分はどこまでいっても自分で
他人はどこまでいっても他人。他人にはなれない。


そういったことは前提として、乗り越えていくしかないと思います。
そしてその乗り越える手段というのが「想像する」ということなのではないか、という。




…む?なんだかよくわからなくなってきたぞ?
まぁTwitter上に流しっぱなしにしておくといずれ消えていってしまうので、
残しておく為の備忘録なのでとくにまとまってなくてもいいか。
結論としては…想像することは大事っていうことで。

2011/05/22

2ヶ月。

東日本大震災発生から昨日で2ヶ月。

死者数    14,981人
行方不明者数       9,853人
避難者数    115,098人
(5月11日現在、警察庁調べ、朝日新聞より抜粋)

日々行方不明者、避難者数は減っていき、死者数は増えていく。
でもそれは身元が判明してどこかに帰れた、ということなのかもしれない。

自分は別に義援金も募金していないし、現地にボランティアとして赴いてもいない。
お金もないし、勇気もない。そうゆうことなのかもしれない。

でも「何かをやった」気がしない、という気持ちで居続けるのも大事なのかもしれない。
無力感を背負い続ける。
被災地の為に何ができるか考える、というより被災地のことを考える。

まぁそんなものは言い訳なのかもしれないけど。
とにかく、まだ忘れないようにしようと思います。
「日常」に「非日常」を持ち続ける、という選択で。

2011/05/08

GWが終わった。

気がついたらGWも終わり。
下手したら年中GWなので、意識しないとその差がわからないものですが。


・GWはノリで大学の後輩とパンダを見に行きました。


笹食ってます。
本来肉食だったろうに、笹食っています。
この日はメーデーで、日曜日で、正直働きたくない日だったろうに…
お勤めご苦労様です。
だが果たしてお勤めなのか。ていうかお勤めとか言うな、夢無くなるだろ。

閉園間際だったため列にも大して並ばずあっさり見れてしまったということもあるのか
正直パンダにはそれほど感動もせず。
むしろ動物園で暮らす動物たちの檻の間取りを人間生活に変換して考えて、同情。
ゾウの身体で考えれば、6畳ぐらいに3匹で住む、といった様に。
都心の動物園って残酷ね。



・GWは森下でWSを受けたりしました。
パンダを見に行っただけじゃないよ、GW。
第5回東京国際ダンスワークショップ「ReAction」に参加しました。
小野寺さんのテクニッククラス3日間。クリエイションにも参加したかったけど、
今回はご縁がありませんでした。

去年「音波少年」でご一緒させていただいたときとはまた違った身体の感覚、
「すんなりできなくなった」身体、あっさり「やってしまっていた」身体が
発見される感覚は楽しかったです。
身体感覚が開かれていくと、やれることが増えるような感じがするのですが
逆にすんなりできなくなっていく感じが面白し。奥深いです、身体。

今日クリエイションのショーイングも観てきましたよ。
久しぶりに椅子とか机を動かしたり、滑らせたりしたくなりました。
あー、クリエイションのWSも参加したかった。




およそ1年間、なんかしらの本番なりクリエイションが続いていたせいか、
ちょっと五月病気味です。別に新しい環境に身が置かれたわけでもないのですが。
でもひょっとしたら以前とは変わってしまったのかもしれないですね、環境は。

一見何事もなかったかの様に「日常」は続いているけど、一種の「軋み」のようなものを
もった「日常」になったのかもしれない。


しかしまぁHPも開設しちゃったわけだし、色々頑張ります。

2011/05/04

HP開設。

4月上旬からもやもやしたまま放置されっぱなしでした、HP。
無事今日より運営していきます。
まだまだ細かいところをマイナーチェンジしていきますが、よろしくお願い致します。

http://www.otona-shonen.com/

2011/05/02

ウサマ=ビンラディン死すとも、テロリズムは死せず。

2011.5.2


ウサマ=ビンラディンが米国主導の作戦で殺害された。


それに狂喜する米国人。


パキスタン北西部の町チャルサダのモスクでウサマ=ビンラディン殺害の報復による
爆発で女性1人、子ども3人の計4人が死亡した。


正義、処罰、報復…何がなんだかわからないものだ。