2016/01/03

非ダンス。

あけまして、おめでとうございます。
新年の挨拶をブログでする、て言うほどマジメなわけではないのですけども。

先日参加させていただいた即興イベント「TAIMAN vol.2」の映像が
YouTubeにアップされまして
https://www.youtube.com/watch?v=BifBf9Jbf4k
それを見ていて、当時(と言ってもつい先月のことですが…)を思いだし、
あ、備忘録的に書いておこーっと思ったのでブログに書いています。

このセッションの時にご一緒させていただいた、ShinyaBさんと
アフタートークや終了後にお話しさせていただいている中で
「オチ」のつけ方、みたいなことに話が及びました。
で、考えてみて…
ダンスにおいて「オチ」をつける、展開を構成をする、というのは
演劇的だったり、音楽的なことなのかもな、と思いました。


 音もなにも付随しない「ダンス」単体というものは終わることの無い、
表現というよりは行為なのかもしれないな、
と最近ソロを作りながらも思ったりします。
それが作品として、表現としてカタチになる時にコンセプトやテーマ、
演劇的要素だったり音楽的要素がくっついてくるのではないかな、と。
ダンス作品にドラマトゥルグという役割がついたりするのは

やはりそうゆうことだったりするんじゃないかと思う。
だから「ダンス」だとか「演劇」だとかで分けて考えることっていうのは、
やはりナンセンスなのかもしれない、と思ったりもします。
「ダンス」に緩急や展開、終わりを与えることで純粋な「ダンス」からは
離れていくような感覚。「ダンス」をそのまま生なもので提供することの難しさ。
そもそも生で提供するものじゃないのかもしれないけど、加熱調理用、的な。

そもそもそもそも、「ダンス」て
なにか良くわからない(明確な定義が出来ない)ですから
不毛な、空回る考えなのだし、
そもそもそもそもそもそも言語化できないっていうものが「ダンス」なんじゃないかな、と思ったりもするわけでした。


と、そもそもそもそもうるせーよ、と思いながらも…


個人的には「ダンス」ていうのは自分で即興的に踊っているとき、
ていうのが一番「ダンス」な気がしています。
それはCDショップの試聴機でノリノリになりながらだったり、
鍋で料理を煮込んでいるときだったり、
ほろ酔いで駅のホームで電車を待っているときだったり、
そんな瞬間に、誰にも観られていない時に
「ダンス」が一番立ち上がってきている感覚があります。
これは、個人的な感覚の話。

じゃあ即興が一番「ダンス作品」か、といわれるとそうではない気がする。
奇しくも昨年末即興のパフォーマンスに参加させていただいたり、
観に行く機会があったのですが、完全なる即興というのは観る側もやる側も
慣れが必要というか。
「ダンス」と「ダンス作品」の差というものがあるんだろうな、
というのはここ最近思っていることで
「ダンス」に展開や構成が付加されたものが「ダンス作品」
で、一般的に劇場というか公演という形態をとる、
いわゆる発表(=表現)として表出するものが「ダンス作品」なのだと
個人的には思っています。
そんな腑分けすらナンセンスなのかもしれませんが…笑


ここまで書いてきて…まとめがよくわからなくなってしまった笑
箇条書き的に思ったことをメモった、と思えばいいのかな。
なんにせよ、なぜ「ダンス」というものが定義しにくいのかというと

定義する必要があるのかは置いておくとして…「ダンス」を考えるうえでの考え方のひとつとして

「非ダンス」というものが定義できないから、という話があります。
言ってしまえば日常のちょっとした動作も「ダンス」と言えるし、
「ダンス」の主語が必ずしも人間じゃなかったり、非生物だったりする
こともよくあります。
それが「ダンス」である、というかそこに「ダンス」を見出してしまいます。
こうゆうのも、ダンス見えますもんね↓
https://www.facebook.com/WattanNews/videos/909438845754453/

ふーむ、考えれば考えるほどと言うか、
考えても考えても「ダンス」ていうのはわからないもです。
それでいい、とも思いますが。