2016/12/08

キミは天王寺ガール。



ライブver.はエモーショナル過ぎるが、いつかこの曲で踊りたい。
しかしながら、この曲は女の子が踊った方が圧倒的に、イイ。 残念。

師走ですねー、気がついたら。
最近は年末踊り納め公演のリハーサルと、年末に加速する仕事の忙しさの中
マイペースにいつも通りやっております。
年末踊り納め公演の詳細はコチラ。個性的なメンバーが集まっていて、面白いです。
年末のお忙しい時期ではありますが、お時間ありましたら是非。ご予約承ります。


昨日まで3日間のスザンヌ・リンケのWSに参加しておりまして。
一晩明け、バイトのアイドリング時間に色々思考に耽って思ったことを備忘録的に。


ドイツ表現主義舞踊の流れを汲み、ピナ・バウシュらと共に現代ドイツの舞踊表現を
牽引してきたスザンネ・リンケが16年ぶりに来日。
で、その方のWSということでどんなことをやるのだろう、とワクワク。
して向かったのですが、内容としてはひたすらに身体に関するワーク。
もっと感情的なことや獏としたことに取り組むのかなー、となんとなく思っていたので
予想外に思いながらも、ワークを受けていくうちにフムフムなるほど、と。

ダンスというか、身体表現である以上、身体がモノを言う、ということ。
つまりはどれほどの鍛錬が積まれているか。
以前鈴木ユキオさんの作品に出させていただいたときに仰っていたのが
「ダンスの身体」があればいい、ということ。
なんてことないことをするのであっても、「ダンスの身体」があればいい、
というようなことを仰っていて、そのことを思い出しました。
日々の、鍛錬の、思考の積み重ねとしての身体は魅力的で、最早それがダンス。
そうゆうことなのかもしれません。

あとそれとは別に思ったことは
いわゆるダンスムーブメントではなく、身体に意識を置く系のダンスを
雑に舞踏系とカテゴライズするとして、舞踏系の人ほどバレエをやるべきなのかも、
ということ。
何世紀にも渡る身体に関する蓄積はハンパない。
ゼロからやるよりそれを利用させてもらったほうがより深みにたどり着けるのでは?
先人の賜物は利用させてもらう、変な意地は張らずに。
ゼロからなんでも生み出せると傲慢にならない。
意地張って稽古場で独り悶々とするくらいなら、
畑を裸足で、鍬で耕した方が得られる身体があるはず。

そんなこんなを思ったり、でした。
思うに日本のコンテンポラリー・ダンスと呼ばれるものは他の国に比べて
既存のダンスへのカウンター感が強いというか、テクニックを軽視しがちというか
ダンスをジャンルで囲うことでステレオタイプに見なしがちというか…
その中にいるとそのステレオタイプにハマりにいこうとする気もするし。
結局島社会的なんですよね、島国だけに!
…まぁそんなことを思うわけですが、貪欲に清濁合わせ飲んで頑張ろ−、と改めて。


スザンヌ・リンケに関してはF/Tのこの記事に載ってますー
読んだのはつい先ほどだけど、フムフムなー、と。
それにしてもスザンヌ・リンケ、すごい人だった。
耳に補聴器入ってるッ!!御年72歳!?とは思えぬ姿勢の良さ、動きっぷり。
そしてチャーミング。愛嬌って、大事だ。