2012/03/11

忘れる、ということを忘れない。

1年、経った。
1年間、1年前のことを忘れる日はなかった、ということはなかった。
忘れる、悉く。
忘れて、酒を飲んで、馬鹿話したりした。

忘れてしまうので、記述する。
記述する、頭の中に。
記述される、頭の中に。
刻み付けられる。
忘れるけれど、思い出す。

なにを?
2011年3月11日。

525,600分、地震、金沢、疎外感、http://bit.ly/impRO、舞台、買い占め、
放射能、自粛、http://bit.ly/zz4ocS、公共広告機構、ぽぽぽぽーん、
レベル7、無力感、SONAR、http://bit.ly/il1UDJ、フクシマ、
液状化、「絆」、365日、計画停電、http://bit.ly/gu5rjI、九州新幹線開通、
HAARP、http://nyti.ms/fVfEX9、キングさよなライオン、
義援金、被曝、http://bit.ly/g4fkec、避難、瓦礫の山、M9.0、
http://mblg.tv/enokiiii/entry/1/12ヶ月、消えた東京タワー、
Pray for JAPAN、そんなこと、http://bit.ly/n6YOmp、賠償、
溺泥、1000年に1度、直ちに健康被害はありません、http://bit.ly/gMgAtK
東京電力福島第一原子力発電所、自己決断、頑張ろう日本、メルトダウン、
津波、http://bit.ly/fy2ieF、非日常に引きずられすぎてはいけない、8,760時間、
「家」、ずっと嘘だったんだぜ、http://bit.ly/ww9y8o、東北地方太平洋沖地震、
たのしいなかま、14時46分18秒、被災者が日常に戻ってくるための準備、
カンタベリー地震、http://bit.ly/yZ97uR、池袋ドン・キホーテ、ヤシマ作戦、
レディー・ガガ、http://bit.ly/bGqQo7、不謹慎、てんでんこ、
東日本大震災、31,536,000秒


テレビをつければどのチャンネルからも聞こえてくる。
「震災から1年、私たちはこの日を忘れない」
こだまでしょうか?
いいえ、誰でも。

忘れたくても忘れられない、でもきっと忘れる。
忘れて、馬鹿騒ぎもする。

今日は3.11だけど、明日は3.11じゃない。
当たり前のこと。でも過去のことは、今にもつながっている。
3.11に3.11を思い出す、3.11が特別な日になっていく。
特別な日を大切にしたい、でも大切なのは特別な日じゃない、日常。
「その日」は今にも繫がっていて、「その日」からも
日々は積み重ねられている。
なんでもない日、万歳。

「いま」「ここ」で生きている。
1年前に知ったことはそのこと。
「いま」「ここ」という空間を占有しているのは自分だけ。
自分の身体だけ。

だから「いま」「ここ」で生きているならやれることをやるしかない。
自分の意志で。


先日Co.山田うん「季節のない街」を観てきた。
とても、とても良い作品だった。
3.11以降舞台に立つことに対する躊躇に対する1つの「答え」を
提示してくれるような、身を削り、「痛み」を受容した作品。

生きていれば痛いし、苦しいし、汗もかく。
そういったことを全て受容して、それでも生きる。
「いま」「ここ」で。


今日は知り合いが2人誕生日だった。
お誕生日おめでとうございます。
今日は自分と関わりのあった最後の後輩たちの卒業式。
ご卒業おめでとうございます。
社会に出て、お互い刺激し合えるような生き様を晒したいですね。


話がとびとび。


明日も変わらず、今日と同じように、昨日と同じように過ごします。
きっと「その日」から変わってしまったけれども、
その変化を受容し、日々を積み重ねるのです。




東日本大震災から今日で1年。

死者数     15,854人
行方不明者数     3,155人

(3
月10日現在)

2012/03/07

引き受け、考える態度。

3月、花粉が飛び始め。目が痒い。
目に飛んできたって子孫は残せないぜ?花粉の皆さん。
しかしまぁ3月か…早い、早すぎる。
年を経れば経るほどに時の流れは早く感じるという説はありますが、
さすがに早すぎやしませんかね?

早い早いとぼやいていると、本当に早いので、今日は1日確定申告関係の
書類を黙々と。パソコン、レシートの山とにらめっこ。
web申告もできるらしいですけど、何故か窓口で申請したいという無駄な拘り。


で、夜は兄の所属している劇団GAIA_crewの公演
「グッドモーニング・マイ・ヴィーナス」を観てきましたよ。
感想としては場面場面のトランジションが一手多く、
なかなかテンポに乗っていくのが難しく感じるも、公演を重ねるたびに
進歩している感じがしました。
物語も分かりやすく、個々のキャラクターも立っていて良かった。
ただ基本的なトレーニングを積んでいる役者とそうでない役者の差が
如実だったというのと、
アクション的な部分以外の仕草、動き、立ち方などの
身体の在り方は気になりました。
舞台は「台詞」だけじゃなくて、「身体」も伴っているから難しい、
そんなことを思わされました。
案外ラジオドラマ的なのかもしれない、とも。

今回気がついたのは、空間演出がクラブ的というか、
コンサートとかライブ空間的な演出に近いのだな、ということ。
スタッフの得意不得意もあるのだろうけど、
もっと演劇的に作ることが出来るような気がした。
もしくはそこを売りにすればいいのかもしれない。
というよりも、やっていることが無意識的じゃなくて
自覚的であればいいのかなー、って思いました。
自覚的であればいいと言っても、「俺、ほめられて伸びるタイプなんで」とか
っていうのは自覚的であってもそこに安住しちゃっている感じw
自覚的であるのであればそこは言い訳にしちゃいけないんだな。

…なんだかものすごく上から目線になってしまった。
でも全体としてバランスのいい、面白い舞台でした。
身内がお世話になっていることですし、
おそらく関係者の皆様もご覧になることでしょうが
そういったことも分かったうえで書かせていただきますw
好き放題書いてやるさッ!


そう、「自覚的」に書かせていただきます。


本日とあるブログがtwitterのタイムラインに流れてきて
面白かったのでご紹介↓

http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-54.html

長いブログなのですが、読んでほしい。
とくに後半の反原発運動〜加害の自覚の話は色々考えさせられました。

無意識的に加害者になっていることはよくある。
そのことに自覚的でありたい。
無意識になってしまう、ということは
ある意味、加害者になることは避けられないということなのかもしれない。
でも色んな人の意見や情報を見聞きして、
最終的には自分で判断すればいいのだと思います。
それをせずに判断することは楽だし、簡単なのですが
加害者なのかもしれないという意識が無いって怖いな、と思ったのです。
だからといって「俺、加害者か〜」と鬱になるくらい悩むのもアレですがw

悩みに悩んだあげくの答えはきっと強度があるだろうし、
でもその強度も別の方向からは簡単に崩れることもあるだろう。

「球」がすごいのは正∞面体だということ。
無限の、極小の平面が並び、「球」になっていること。
そうゆう「球」=多面的な視点をもっている、になれたらいいなぁ。

…ハイ、自分でもよくわからなくなってきましたが
多分これから個人が決断を下す、
ということが大事になってくる気がしている、
ということなんです。
そんなん前からそうなんでしょうけど。

社会学者の宮台さんがいうところの「引き受け、考える態度」という
自覚的になるということを
朝に思ったことと、夜に思ったこと=舞台の感想とを
なんとなく繋げてまとめてみた。
深夜はだんだん思考鈍ってくるからまとまっているのかどうか
よくわからなくなる。
読み返してもわからないので、もう寝ますよ。

書き逃げ、書き逃げ、文責は持ちます。
後日気に入らなかったら書き直すかもね〜