2016/07/13

挫折するほどに挑め。

な、なな、なんというブログ更新率の高さッ!
…言い換えればヒマなのですよね、きっと。

今日は大学同期で大人少年の「出口なし」にも出演頂いた、
石井卓真の所属する劇団SkyTheaterProjectの「君に決まってた」を観に。
複雑に絡まりすぎて中盤くらいから大丈夫か?と心配になるくらいの誤解と嘘が、
一気に解けて流れ込むのは観ていて心地よかったです。
三単一のような構成、デウス・エクス・マキナを思わせるドタバタなど、
古典のフレームの強さ、台詞のみならず身体が伴う演技も秀逸で、
とても面白かったです。
久々にしっかりとした、手放しに面白い舞台を観ました。
卓真も主役で、安心してみていられる存在感でした。


帰り道に自転車をこぎながら思ったのは、
最近実感としてもあるのですが、この年齢まで続けてみないと
わからないということって多分にある。
自分を顧みてみても、日々不安に駆られてマイナビのHP見ちゃったりとか
なにかボディワーク系の資格とろうかなー、 とかいわゆる安定を求めること多々あり。
でも不安定ながらも、こうして続けてきて最近色々繫がってきたな、と思います。
そりゃね、某カジュアル量販店のアルバイトやっているよりは
ボディワークの資格持っていて教えやっています!ていうほうが
ダンサーっぽいなぁ、と思うわけですが
作品に関わることになったときに代行やら何やら組まなきゃいけなかったり
日々の教えの準備をしなくてはいけなかったりで大変なんだろうなぁ、と。
結構柔軟に、かつある程度無責任に働きながら活動を続けていけるのは
今の生活、働き方だからなんだろうなぁ、とも。


…話は多少脱線しましたが。
今日こんな記事を読みました。
Perfumeに限界は訪れるのか〜年齢と「女性アイドル」の期限〜

をーう、響きまくるお言葉の数々。
アイドルグループに限らず、バレエ団やダンスカンパニーにも当てはまる内容。
15年後のNoismとかどうなっているんだろう、と思ったり。


選択しなかった道の存在。


思えば色々な選択をしてきたかと思います。
それでも続けてきた、だから今がある。
簡単に言ってしまえば、「継続は力なり」ということなのでしょう。

でもただ続けていればイイ、というわけではない。
選択が生まれるような、挫折が生まれるような挑戦をなくしては
見えてこない「高み」というものがある。

それはダンスや演劇といった芸事に限らず、
どんな仕事でも。

大学卒業するときに、ゼミの恩師にいわれた言葉
「3年続けるかどうかは1年で判断しないとね」
今はこの言葉の意味がよく理解できます。

だから若い人はもっと挑戦して、挫折が起きるようなことにも挑戦したらいい。
そのときにわかることも多々あります。



………と、偉そうにいっていますが…
まだまだ俺、若いッつーの!!

挑戦すら難しくなってくる年齢というのは確かにあります。
でも今日は単純に大学の同期がイキイキしている姿に感動したのでした。 

ことば言葉コトバ…in other words。

昨日(2016年7月11日)、永六輔さんの訃報が届きました。

享年83歳、死因は肺炎とのことですが
事務所関係者の方の話だと老衰と言っていいほどの穏やかな最後だったそうです。
7月7日、七夕の日にお亡くなりになりました。
ご冥福をお祈り致します。

小さい頃からラジオを聞いていた身としてはとても衝撃的。
近年パーキンソン病を患いながらも精力的にラジオに出演していらっしゃいましたが、
ついこないだ土曜のワイド番組が終わり、
その後の冠番組もここ2、3週間前くらいに終わったりと、
症状は思わしくなかったのでしょう。


永さんといえば、「言葉」の方、という印象が強いです。
作詞された名曲の数々
上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「いい湯だな」「こんにちは赤ちゃん」etc..
秀逸ですよね。
「上を向いて歩こう」とか、「悲しい」「悔しい」といった感情を表す単語を使わず
身体的な言語で色々な感情を想起させる秀逸な詞だと思います。

そして永さんといえば、子供電話相談室。
秀逸です、回答の数々。 
なかでもこの回答、直接感情が伝わる言葉を使わずして
どうその感情を伝えるか、そこに言葉の美しさ、コミュニケーションの面白さが宿る。

最近作品をどれくらい説明するか、表現をどう説明するか、
ということに関心があります。
どうも身体表現というか、ダンス作品を作る人たちは
言葉での説明を濁すというか、正解を明示することを避けているような気がして…
もちろん正解は無い、感じるように見てくれたらいいのですよ、というのは
よくわかるし、それが抽象的な身体表現の面白さだとも思う。
しかし、やはり観る側は困る部分あるだろうし、
そういった部分を怠った結果、今のダンス界の現状があるような気もします。
わかりやすいダンスにする必要は無いと思うが、

作品に対して言葉である程度説明できる、というのは
それなりの責任を背負うことにもなると思うので、大事だな、と思っています。

1から10まで説明する必要は無い。
0から1を作るのは大変だし、0から1を見出すのも大変。
1を与えて、10、もしくは100くらいまで想起させる工夫が必要なのだろうな、と。
もちろんそこには観る個人個人のリテラシーや知識が関わってくるとは思うのですが。

そういったものを超えた、身体の強さっていうものが必要なんだろな、と思ったり。



永さんの話から始まって、言葉にいって、
やはり最終的には身体に戻ってくるのでした。

2016/07/11

イノナカノカワズ。

毎日毎日

僕らは電車の中で

脇目も振らずにスマホを見つめている

そこには広大な、世界のすべてが詰まっている様に思える

けれどもそこにあるのは

自分の居心地の良い世界だけ

世界は自分の居心地の良い世界のことではない

世界はもっと豊かで、残酷で、無関心で、とらえどころの無いもの
世界は皮膚の上から始まる



今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる
今日ですべてがはじまるさ


「春夏秋冬」て、とても多面的な唄ですね。
さてさて、参議院選はご存知の通りの結果となりました。
SNSでの盛り上がり、世間とのギャップは今回も埋まらず。
やはり日本のネットは「東京」の代替でしかない。
それがSNSなどのフレームを通せば、単なる内輪でしかない。

やっぱり、居心地の良い内輪は、世界じゃない。

世界で傷ついて、戦って、また傷ついて。
そんな中で生まれるモノを希望として、生きていくのだと思います。


2016/07/09

選挙の日って、ウチじゃなぜか投票行って外食するんだ。

モー娘。って人数こんなに少ないんだね、ていうか今のアイドルが多すぎるのか。


さて、このblogを始めてから何度か選挙もあったし、SEALDsのデモや
反原発のデモの様子も見てきました。
ネットでの盛り上がりに反比例して現実の変化の無さにガッカリしながらも、
今日期日前投票に行きまして、いつもより人がきていたり、若い人の比率が多いことに
ちょっと希望を見出したりしながらも、あまり期待しすぎないようにしています。
思うに、日本のネット社会は「東京」なのだ、と。
「東京」向けの情報に溢れている。
だからこうゆうときに東京生まれ東京育ちっていうのは無力だな、と思います。

今回は参議院選挙で、政権交代が起きるような選挙ではありませんが
今後の日本を打ち出すような選挙なのだと思います。
個人的には改憲は必要だと思っています。
それをしない限り自衛隊の存在はあやふやなまま
いつまでも沖縄の米軍問題も伸展しないだろうし。
もちろんコスタリカのように軍隊を持たず、理想郷のような国はあります。
でも日本の現在の人口、国土を考えるにあたってそれは難しい気がしていて、
自国を守る力は持つべきだと思うし、それはしっかりと規定するべき。
災害支援、自国防衛を主とした軍隊として自衛隊を認め、
集団的自衛権による派兵ではなく人道支援として協力をしていけば良いと思う。
改憲が必要、と思う理由は下記のYouTube動画の考えに共感するからです。


でもまぁ自民党の改憲草案は「壊憲」草案だし、そこは絶対反対ですよね。
多くの時間をかけて議論して改憲してほしいものですが
残念ながら日本の政治家は議論できないし…

時節柄、政治的なことを綴りましたが。

正直な話、「力(≒暴力)」というものはわかりやすく効力のあるもので
「力」がなくては守りたいものも守れない。

日本人は竹槍やAK47、手榴弾というわかりやすい「暴力」の代わりに
選挙権という「力」を持っているのだと思います。

守りたいものがあるのであれば、「力」を行使する。

家族で選挙に行って、外食して帰る。
それが「平和」。
そうなのかもしれませんね。
自分たちの意志を示せる、選挙というカタチの「力」
それが「暴力」に変わること無く、いつまでも続いて欲しいと思いながら、
あとは10日の開票を待ちます。