2014/12/31

時は止まらずに、戻らずに、流れ続ける。人は止まる、戻る、でも流れ続ける。

2014年もあっという間に大晦日です。
ですが振り返ってみると、あれも今年か、これも今年か、と思いますが。
総じて言うと、色々な出会いのあった1年だったのではないかな。


最近思うことは、時は止まらない、ということです。


気がついたら29歳です。
ついこないだ大学卒業したような気分だし、
大学卒業してからなにか変わったのか、と問われれば答えづらい。
でも実際には6年という月日が経っている。

ボーッとしていたら、時は勝手に過ぎ去って、過ぎた分の「なにか」を
求められたりする。
責任感であったり、実力であったり、考え方であったり。
自分は変わっていないようでも、確実に変わっている、ということ。
それは周りの環境は変わっていっているから。
変わっていないように見えても。

意識的に生きていかないと、色々考えないといけない。

色々考えさせられる年齢です。
仕事のこと、好きなことをやるということ、人生設計…
残念なことに普通に生きていく、ということすら厳しい現代日本です。
なにが普通なのかはわかりませんが、色々生きづらい、とは思います。
正直好きなことやっている場合じゃないのかもしれません。

でも好きなことをやっている大人がいる、というのは
大事なことなんじゃないかと思います。

やむ得なく好きなことをやれなくなってしまう、ということもあるでしょう。
その時まで、その時が来ても「続ける」ことが出来るように
色々考えて、頑張っていきます。

今年も1年ありがとうございました。
皆様にとって、自分にとって2015年が良い年になることを願って。

良いお年を。



追伸

去年の年越しは友人らとボードゲームをやりながらでしたが、
今年の年越しも家族でボードゲームをしながらになりそうです。


2014/12/23

イチゴイチエ。

何度もブログ更新するタイミングはあったかと思うのですが、
気がついたら10月から放置していました。
色々書くべく内容も、宣伝するべき内容もあったはずなのに…

どうも、ご無沙汰しています。

以前のブログにあったように、2本のリハと自主公演が同時並行していて
慌ただしい日々を送っていました。
そんな日々も一昨日、自主公演が終了し、一段落。
まだまだ事後作業が残っていますが、とりあえずは。

大人少年 公演「ダイニング」、無事終了しました。
ご来場頂いた皆様ありがとうございました。
ご協力頂いた皆様、ありがとうございました。

自身も作品を作る音響の大園さんはズバズバと率直な意見を言ってくれたり、
和裁を学んでいる照明オペレーターの川添さんは急な衣裳の変更に対して
急遽衣裳を直してくれたり、ととても助かりました。

照明の関口さんも時間のない中、演出のやりたいことに応えたうえ、
ギリギリまで新しい提案をしてくれたりなど、
今回本当に良い座組みに恵まれて、ギリギリまで構成を練り直せました。
そして意外と腰の重い主宰のケツを叩いてくれる久我さん、
毎度お世話になります。今後ともよろしお願いします。

色々ご迷惑をおかけしましたが、少人数ならでは?だからこそ?の
風通しの良い、とてもクリエイティブなプロダクションでした。

出演者の2人も大学時代からの付き合いで
お互いズバズバとモノが言える環境で
自分の頭の中だけで考えていたものが広がっていったり、
こだわりが消えていく感覚があったりして、
やはり共同制作って面白いな、と感じさせて頂きました。

ホントに、ありがとうございました。


惜しむらくは年末の忙しい時期で、公演も重なっていたりなどもあって
多くの方に観て頂けなかったことですね。
「再演やらないの?」という声もいくつか頂きましたが、
再演…難しいものですよね。再演したいとは思いますが…
しかしまぁそのあたりは自分がどう頑張るか、ということなので。
再演できるように努力します。

「続けていないと、次は無い」

打上げの席で自分で言っておきながら、印象に残った言葉です。
当たり前と言えば、当たり前のことなのですが笑
「続ける」ということだけに満足せず、より先を目指して頑張ります。


ありがとうございました。


さて、自主公演も終わって束の間、今日からまた違う作品のリハです。
先ほどは再演難しい、と言っておきながら再演ものです笑
しかもオリジナルメンバーに新しいメンバーを迎えたVer.で。
個人的にも因縁?思い入れ?が深い作品です。
色々乗り越えるものがある作品だと思っています。
3年前から成長した姿を御覧頂けるよう、
年末年始クリスマス関係なく頑張ります。
年末年始…クリスマス…関係なく、頑張ります。

いや、さすがに年末年始はリハ無いですけどね。
クリスマスもリハ無くても別になにも無いんですけどね。
何も無いって言うことをあえて言うむなしさ、てありますよね

師走が終わっても、走り、踊ります。
よろしかったら是非、ご来場ください。

詳細はこちら↓



Dance Theatre LUDENS 公演

「1hour before Sunset」



…とある公園で見た閉園時間の表示
「日没の1時間前
  ― 1 hour before Sunset」

沈みゆく太陽、その残照を背景に、
走り、踊り続ける人の姿…

横浜の海を一望する
「象の鼻テラス」を舞台に、
パーカッショニスト加藤訓子の音楽にのせて繰り広げられる
ライブ感溢れるLUDENSの話題作 ! 

象の鼻テラスで再び!!


◇舞踊評論家・高橋森彦
《Ballet Factoryより》2011年12月
疾走する踊り手たち。変わりゆく空間。新しく立ち上がっていく風景
…日常を非日常のように新たな景色に変えていくかのような鮮やかなマジック

[全文] http://www.ballet-factory.com/ballet-hyakka/gotheater/balletanddance/t-020.html


2015.1.30(金)− 2. 1(日)

1.30 (金) 20:00 開演 / 31 (土) 19:00 開演 / 2.1 19:00 開演
※会場は各回30分前


【会場】
象の鼻テラス/パーク[横浜市中区海岸通1丁目] http://www.zounohana.com/


大きな地図で見る 


〒231-0002 横浜市中区海岸通1丁目 TEL:045-661-0602
アクセス:みなとみらい線「日本大通り駅」1番出口より徒歩約3分



【コンセプト・構成・演出・振付】
岩淵多喜子

【音楽・演奏】
加藤訓子

【セノグラフィー】
杉山 至

【共同振付・出演】
太田ゆかり 増田明日未 森川弘和 三橋俊平 渡邊絵理 岩淵多喜子

【クレジット】
照  明:三枝 淳
音  響:河田康雄
舞台監督:河内 崇
宣伝美術:江尻ひかる
会場協力:象の鼻テラス
主  催:Dance Theatre LUDENS
制  作:NPO法人 魁文舎(花光潤子 松本千鶴)
協  力:公益財団法人セゾン文化財団 横浜ダンスコレクションEX 
助  成:芸術文化振興基金


【料金】
一般:前売3,300円(当日3,800円)
学生:前売2,500円(当日3,000円)
*日時指定・全席自由 
*学生前売券:予約はJCDNのみ。
受付にて学生証を提示の上ご精算ください。

2月1日(日)10枚限定!
「横浜赤レンガ倉庫×象の鼻テラス」セット券[10枚限定 *残りわずか!]
 一般:6,000円 学生4,500円(セット券取扱い:横浜赤レンガ倉庫1号館受付のみ)

「横浜ダンスコレクションEX」受賞振付家公演と『1 hour before Sunset』の両方を楽しめるお得なセット券を限定発売いたします。

2/1(日)対象公演
❍16:00開演(会場:横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール) 
 横浜ダンスコレクションEX 2015 山田うん『ワン★ピース』、伊藤郁女『SOLOS』
❍19:00開演(会場:象の鼻テラス)
 Dance Theatre LUDENS『1 hour before Sunset』


【チケット取扱い】
Confetti(カンフェティ)
http://confetti-web.com/
TEL: 0120-240-540
(平日10:00~18:00) 

JCDNダンスリザーブ 
http://dance.jcdn.org

象の鼻テラス 
TEL: 045-661-0602
(10:00~18:00) 

【お申込み・お問い合わせ】
dancetheatreludens@gmail.com
TEL: 03-3275-0220(カイブンシャ)
*お申し込み後、指定口座までチケット代金をお振込みください。




2014/10/01

右に倣え、無いほどに隣の芝生はただただ青い。

日をまたいでしまったので、10月、ですか。
早い、ホント月日の流れるのが早い。コレが年をとったってことですか?
あ、先日無事29歳を迎えました。
お祝いのメッセージくださったみなさま、ありがとうございます。
今年も一年、頑張ります。

20代最後の年なので、なにかハジけたいなー、と思いつつも
日々に忙殺されるのか、目の前のことを丁寧にしっかり。
遊びゴゴロを忘れずに。


一昨日身体障害のある方を含むインテグレイテッド・ダンス・カンパニーの
Work In Progressが無事終了しました。
ご来場頂いたみなさま、ご協力頂いたスタッフのみなさま、
芸術監督のたきさん、ユキオさん、プロデューサーの伊地知さん、
そしてカンパニーメンバーのみなさま、ありがとうございました!
色々考えさせられたり、悩まされたり、濃い楽しい時間でした。
まだまだ続きますが、ひとまずお疲れ様でした。
引き続きよろしくお願いいたします。


で、アフタートークやら打ち上げの席で出た印象的なことを備忘録的に。


もともとインテグレイテッド・ダンス(Physically integrated dance)というのは
ダンスのジャンル?みたいなもので障害の有る無し関係なしに
「人種的(宗教的)差別をしない」「統合された」ダンス、みたいです。

wikipediaにも書いてあった、英語だけど。
http://en.wikipedia.org/wiki/Physically_integrated_dance
なるほど、physically integratedというのだね、正確には。

ちょいと脱線しましたが、つまり身体の差異(=障害の有無)に関係なく
「統合された」カンパニーだということです、成り立ちでいえば。

でも実際にリハーサルやワークを続けている中で、
確かに身体の差異はあるけど、それって普段接するダンサー同士でも
感じるくらいの差異なのかもね、というような発見が。
もちろん気にしなくてはいけないことはいつもよりあるのかもしれないけど、
基本的にはいつも通りで大丈夫なんだ、ということ。

むしろダンサー同士だとコンテンポラリー・ダンスになると
バレエ出身の人もいれば舞踏出身の人もいるし、ストリートダンス出身も
演劇出身もいたり、美術出身の人もいたり。
どこにも属さないような人もいたりと多様過ぎる。
身体的な共通言語を見つけるのも大変だったりする。

だからこのインテグレイテッド・ダンス・カンパニーの「Integrated」は
もっと広い意味で「統合された」という意味なんじゃないか、という話。
正社員で働いていることや非正規雇用(アルバイト)で働いていること、
それにともなうリハーサルへの参加具合だったり、家庭の有る無しなどなど。
身体的な差異(=障害の有無)による懸念が大したこと無い、
とわかったがいつも通りに進められるわけではなく、
むしろ違う多様性が浮かび上がってくる。

ひょっとしたらこの浮かび上がってくる「多様性」というのは日本ならでは、
なのかもしれない。

インテグレイテッド・ダンス・カンパニーの代表格で知られる
英国の「Candoco」は、ちゃんと自分たちのスタジオを持っていて、
カンパニーダンサーたちに月給が払われ、助成金も潤沢、らしい。
多分ホント。
つまり、作品を作ることで生活が成り立つということ。

一方、悲しいことに日本でダンスで食べていくことは困難なことです。
大半の振付家・ダンサーは何かしらの仕事を掛け持ちしています。
仕事の種類もダンスに関係あるものから全く関係ないものまで。
それとは別にプライベートというか、いわゆる生活があります。
まさしく「多様」です。


なんだかそういった「多様性」が「統合された」カンパニーなんじゃない?
実は。


そうゆう捉え方はアリだな、と。
ただ単純に「身体の差異」の統合されたカンパニーよりも、
それらを含むもっと「複雑な多様性」が統合されたカンパニーであることで
また違った社会性を持つというか、観客にも共感し得る社会性を得る気が。
社会性を持つことが目標じゃないとは思いますけどね笑

今回のワークインプログレスを観てくださったカメラマンの森さんの言葉を
借りるのであれば、前者(身体的差異)をハード面、
後者(社会的差異)をソフト面。
ユキオさんの作品がハード面からのアプローチ、
たきさんの作品がソフト面からのアプローチ、だったのではないか、と。
今後どのような展開になっていくのかはわからないですけど、
打ち上げの席での話に繫がったり、面白い見方だなーと思いました。
でも別にハード面とソフト面が別物だというわけではなく、
むしろ繫がっているものなんだ、ってことがさらに面白い。
身体的差異(例えばそれは性別も含むだろうし)が社会的差異を生む、
こともあるだろうし、逆もあると思う。

言葉にまとめるのは難しいのですが、日本独自の「Integrated」ということに
注目してみたらなんか面白いんじゃないかなー、と思いました、
WIPを通して。
海外の文化的背景と比較してずーん、てなってしまうのではなくて
貧弱な文化的背景を逆手に取る、みたいな。
そうなるとコミュニティダンス的なのかもしれないですけど。
でもコミュニティダンスも舞台作品としてのダンスも
地続きみたいなものでしょ?

隣の芝生は青々してて、寝転がれるし、気持ち良さそうだよねー。
でもこっちは土剥き出しで水はけ悪いから芝生どころじゃないわけ。
だったら水田にして米作ったるわーッ!
こちとら農耕民族なんじゃーいッ!みたいな。


そんなこんなでWIPが一段落し、
次は年明け2月末の本公演に向け動き出します。
楽しみではありますが、正直不安な部分、大変な部分は多々あります。
そのへんはお察しください笑
頑張ります。

あ、ちなみにカンパニー名は「響-kyo-」に決まりました。
正式に決まったのですが、デデーンと発表する場も無かったので。
インテグレイテッド・ダンス・カンパニー「響-kyo-」です。
頭の片隅にでも覚えておいてください。


さて、そんなこんなで一段落。
なのですが、個人的にはコレからが修羅場。
なぜ修羅場かって?
そんなインテグレイテッド・ダンス・カンパニーの活動と並行して自主公演、
さらに再演があるからなのです。

うーん…考えると目眩がしそう…
だが、どれも譲れないもの。
身体に気をつけて頑張ります。

諸々の詳細は近日追ってご報告します。お楽しみに。


2014/09/11

夏は終わり、秋ハヤッテ来タケド気付カレズ、やがて冬が来る。見つかるのは小さい秋だけ。さんま食べたい、さんま。

いきなり涼しくなりましたね。
秋の始まりっていうのはわかりにくく、あるのは夏の終わりなのだ、
みたいなことをラジオで聞きました。
なるほど、その感覚わからなくもない。
秋はJAZZが合います。


最近はHP、Twitterのみでの告知になりましたが
東京国際ダンスワークショップReAction8thのクリエイションWSだったり、
この度始動しましたインテグレイテッド・ダンス・カンパニーの
Work in Progressに向けたリハーサルだったりで、日々踊っています。

踊っている、のか?というのは最近疑問ではありますが。
結果「踊っている」ということなのかもしれません。
バリバリにキレキレで踊るダンスも好きだけど、
雰囲気とかなにか物語を感じさせるようなダンスが
やはり好きなのだなぁ、というのをWSやリハーサルを通して感じています。

前に大学時代の恩師、ダンステクニックの恩師である
玉川姉妹のカンパニー・Synapseの作品に出させていただいたときにも
言われたりしたことではあるのですが…
ダンスを始めたのが大学も終わりに近づいた頃で、本格的に始めたのは卒業後。
テクニックを身につけること、身体を作ることに卒業後の数年を
費やしてきた感があります。
もちろんバレエのテクニックとか全然ないし、
正直まだまだな部分はあります。
が、ここ数年で身体はある程度でき上がった。
だからもっとイメージを持って踊っていいのではないか、ということ。
イメージで身体を作るときに染み付いてしまった見せ方とか癖を超える。
それができるようになるとまた違った面白がり方が出来るんだろうな、と
思いながらリハーサルに臨んでいます。

テクニックをつけることはもちろん大事だけども、それ以外にもやれることは沢山ある。


イニャーキのクリエイションWSはそんなことを考えたり、
考えさせられたりしたWSだったし、今取り組んでいるカンパニーも同様です。

カンパニーは集まっているメンバーも面白く、個性的でバラバラ。
でもまとまっている。
なんだか不思議なカンパニーです。
今月末の28日に行われるのは3月本公演のWork in Progress、
つまり途中経過発表なのでキチッとした作品が観られるのかはわかりません。
しかし作品になる途中で取りこぼされてしまうものだったり、
カンパニーが作り上げられていく途上が観られるかもしれません。
2人の芸術監督のアプローチの仕方とか、ワークの内容が
全く異なるようで目指すところには似たような部分があるのも面白いです。

ご都合よろしければ、是非。
会場の都合上、席数が限られています。

以下詳細↓




インテグレイテッド・ダンス・カンパニーによる
WORK in PROGRESS

身体障害のある舞踊家を含むインテグレイテッド・ダンス・カンパニーが
いよいよ始動します。
来年2月28日、3月1日の本公演(アサヒ・アートスクエア)に先立ち、
現在のカンパニーの作品制作途上をご覧いただきます。
ショーイングの後に簡単なトークもあります。

【日程】
2014年9月28日(日) 17:00開演(16:30開場)

【会場】
あうるすぽっと3階大会議室


大きな地図で見る 


豊島区東池袋4-5-2 ライズアリーナビル2F・3F
有楽町線「東池袋」駅下車、6番出口直通

【料金】
1,500円

【芸術監督】
岩淵多喜子
鈴木ユキオ

【出演】
天方真帆、泉葉子、岡田直樹、近藤靖一郎、鴇田光晴、細川麻実子、堀井妙子、
増田明日未、三橋俊平、南弓子

【制作アシスタント】
石川弘美

【プロデュース】
伊地知裕子

【お申し込み・お問合せ】
メール、ファックスで下記の要領に沿ってお申込みの後、
1週間以内に下記口座までお振込ください。チケットを送付致します。
なお、今回、座席数が限られているため、お早目にお買い求めください。

開演日直近のお申し込みの場合、お入りになれない可能性もありますので、
必ず、メールか電話でお問い合わせください。

①お名前
②郵便番号
③住所(ビル名、マンション名も明記)、
④公演名(ワークインプログレス)
お振込先:
郵便振替 00140-5-725206 クリエイティブ・アート実行委員会

銀行 ゆうちょ銀行
019支店 当座預金075206 クリエイティブ・アート実行委員会

電話 :03-6426-5182
e-mail:Musekk@aol.com

【主催】
クリエイティブ・アート実行委員会

【助成】
アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
公益財団法人セゾン文化財団

【企画制作】
ミューズカンパニー
[HP]http://www.musekk.co.jp/

2014/07/03

僕らが手にしている富は見えないよ。

https://www.youtube.com/watch?v=GvHmMv2JHDk

珍しく、頻繁にブログを更新してしまいます。
なんだかザワザワしてしまっているのだな、昨日から。

集団的自衛権の行使が閣議で容認されました。
ただ閣議で容認されただけで、まだ集団的自衛権を行使する為には
まだまだ法律を通したり、現実味がないというか、
直ちに問題はない、といえばそうなのでしょう。
でも、ザワザワが止まらないんですよね。

FacebookにしてもTwitterにしても流れてくるのは不安とか不満とか
失望とかネガティブなモノばかりだし。
それが悪いという訳ではないし、それを伝えなくてはいけないとは思う。
でもやっぱりザワザワします。
正直疲れる。

でも本当なのかわからないけど、こーゆーつぶやきを見たり
これがフィクションとはいえゾッとしてしまう現状を思ったり
こーゆーのが閣議決定と同じ日に公開されたりすると
ああ、やはりそうなのかな、と思ってしまいます。

正直重い話は疲れるので、出来ればしたくはないのだけれども
そうも言っていられないような気がしています。



何かをしなくてはいけないのだけど、
何をしていいのか、正直わかりません。



政治を変えないといけないとは思います。
でもそこを変えるよりももっと根本的に「価値観」が変わらないと
ダメなんじゃないかと思っています。
じゃあ「価値観」てどうやったら変わるのかね、というと…
例えば感動したり、悲劇に巻き込まれたり、激しく感情を揺さぶられたり
新たな価値観に出会ったり、てことなんだと思います。
もちろんどんな方向に価値観が転ぶかはわからないけど、
ひとつの価値観しか持っていないと、その価値観でしか物事を判断できない。
色んな価値観で物事を考え、捉え、選んでいく。

個人的に好きな考え方なのですが、「円」というのは「正無限角形」で
角(≒視点、価値観)が増えると、丸くなっていくというのは
人も図形も同じなんじゃないかな、ていうのがあります。

いち個人の考え方、価値観でしか無いのだけども
提示することで誰かが触れられて、万が一心が動いてくれるのなら本望で。


なので、誰かの記事をシェアしたり、RTしたりするのではなく、
自分の言葉で語るべきなのかな、とは思っています。
自分の言葉で語るには言葉を選び、考えなくてはいけないから。
それをすることで誰かに煙たがられたり、嫌われたりもするかもしれないけど
別にいいや、て感じです、今は。


ブログ書くのも、作品作るのもそういった意味では同じなのかも。
価値観を提示する、ということ。
そうゆうことで例えば社会に還元できるのであれば、
アーティストはもっと社会とつながりを持てるんじゃないかな、て思います。

それに、価値の示し方は作品だけとも限らない。
例えば生き方で示すことも出来る。
だったら多分、誰にでも出来ることなのだと思います。



何故なら価値は 生命に従って付いている。





いやー、でもホントにこんな重たい感じの内容書きたくないよね。
今日あった楽しいこととか、あの映画がいいとか、そうゆう話を気兼ねなくしたい。
なんかそうゆうことするのを自重する感じが自分のなかに勝手に芽生えていて、ヤダ。
さっきバラエティ見てて、笑ってる場合なのか自分、て思っちゃったのはかなりショック。
ホント、震災よりある意味ダメージ受けてるかも。
作品で価値観を提示すべきだ!みたいな勝手にハードル上げてる感じもあるしね。
別にええねんて、そのへんの自意識は。
クオリティの高いものならイイ、なにかしらの説得力としてのクオリティが。





とりあえず、備忘録として残す、今は。
意外と過去の自分の文章に励まされたりすることがあるっていうのを
経験として知っているので。

明日も多分今日と変わらない感じで過ごすけど、
多分このザワザワ感があるように、変わってしまっているので
全く同じではないのだろうな。
色々考えますよ、自分なりに。

2014/06/30

震災が起きて、原発事故が起きて、それでも変わらないのであれば…



















って、少佐は言うかもね。



W杯も予選敗退に終わり、
連日都議会のセクハラ問題やら集団的自衛権やらで賑わっています。

7月1日に集団的自衛権の行使容認の閣議決定がするみたいです。
明日30日はそれに異を唱えるべく首相官邸前で抗議集会があるみたいです。

http://got.angry.jp/0630/

今までの感じからだと実質的にはあまり意味ないんだろうなぁ、
と思ってしまっているのですが、やらずにはいられない気持ちもわかる。

どうしてもデモとかが一時的な盛り上がりに感じられてしまっていて、
そういった行動ももちろん大事なのだろうけど、
普段から色々考えることとか、どんなことに価値をおくのか、
てことが大事なのではないかと思っています。

正直色々考えていると八方塞がりな感じになったりします。
思考停止している方が身軽に動けるような気もします。
でも未来にとっての過去は今なので、やはり色々考えたり思うことは大事。

それでその思ったり考えたことを作品として提示したいのかも、て思います。
それは1つの作品としてなのかもしれないし、
全ての作品に渡ってなのかもしれないし。

押し付けるとか、説き伏せるってことでもなく
「こんな考え方なんスけど、どうっすかね?」くらいの「提示」する感じ。
それを受けて何か思ってくれたりしたのなら、それは嬉しい。

ひとつの大きなアクションも大事だけども、普段から考えることも大事、
考えて変わっていくことも大事。
そんなことを思ったのでした。



だがしかし、このアクションはやり過ぎだよなぁ…

集団的自衛権反対で焼身自殺図る
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014062901001521.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

NEVARまとめ
http://matome.naver.jp/odai/2140401563937718401?page=2

と思うと同時に、なんとなく気持ちがわからなくもない、とも思いました。
多分当事者に暴力的に、例えば乗り込んでいってぶん殴る、とかで
意見を伝えることもできただろうけど、それじゃなにも解決しない。
意見を表明したいし、それを効力を伴ったものにしたいと思うけども、
他人への暴力は違う気がする。
そんなことを思っていたら、自分への暴力になりました、みたいな。
いや、実際どうなのかわかりませんけども。

ただどこにもぶつける場所を見つけられなくて、
でも意見は表明したくて、最終的に自分に向かってしまった、ていう
思考の流れ方はなんとなく共感できてしまった。
いや、実際どうなのか知りませんけども。

決して褒められる行為ではないし、恐ろしい行為なのだけども、
なんとなく納得してしまうような部分もあるな、と感じました。
そう感じてしまうのは、変なのかもしれないけど。


一番恐ろしいな、て思ったのはNEVARのまとめにまとめられている
ツイートの感じ。
写真を撮っていたり、冷静にツイートしている感じが、すごい不気味。
しかもコレだけ多くの人が。
でも自分もその場にいたら、そうなっているかもな、と思ってしまう。
それもまた、うすら寒い。
そしてそのまとめのおかげで情報を得られているのも、なんだか怖い。


なんだかもう、本当によくわからん世の中だな。
ゲリラ豪雨で靴が水浸しになって足が臭い、とか
そうゆう些細なことだけで悩みたい、ホントは。

眠た〜い!マキビシの上でいいから横になって寝た〜い!


2014/06/10

いいモノが観たい、創りたい。

もはやね、1ヶ月ブログ放置とか常習犯なので何も言うことがありません。
気がつきますと4月も5月も終わって梅雨になっていました。

先日アシスタントが関わらせて頂きました「絶対RED」が無事終了しました。
3月のオーディションからテクニカルの下見、
パフォーマンスの本番アシスタントとガッツリと関わらせて頂きまして、
またGRINDER-MANの作品を初めて一歩引いた位置から観れたのは
貴重な体験でした。
作品自体も5回のリハーサルで組み上げた50分弱とはとても思えない、
強度の高い、ハイクオリティな作品でした。
ジャンルを異にするとはいえ、身体を用いるプロフェッショナル同士、
化学反応のような、共に合わせとようとする美しさみたいなものが
いいなぁ、と思いました。

本番も子どもたちが暴れてたり、子どもたちに絡まれたりしながらも
そうゆう距離感でパフォーマンスが観られる環境っていいな、て思いました。

出演者にもスタッフの方にもとても恵まれた作品だったので
ぜひどこかで再演できたらいいと思います。

出演者のパーツさんの主宰する劇団・東京人形夜のYouTubeから
本番のダイジェストを拝借
本番観に来れず、興味がある方はなんとなくの空気を感じて頂ける、かも?
https://www.youtube.com/watch?v=lX5sACxyNFQ&feature=youtu.be


ここ最近ずーっとブログでも書いていることなのだけども、
所詮ダンスにしても演劇にしても小さな社会なのです。
もっと外の世界に拓いていくことが必要だと思うのだ、やはり。
そんなことじゃいつまでたっても狭い世界のままですもの。

それは例えばダンスをやりたい、音楽をやりたい、とかの先にある
ダンスで何をやりたいのか、音楽で何を成したいのか、ていうのを
考えることが大事なんじゃないかなー、てこと。
そうゆうことを考えてみれば、ジャンルだとかってどうでもいい話だし、
周りからブレブレに見えることでも自分の中で筋が立つのではないかな。
自分が納得しているかどうか、大事なことです。

そして最近思うのはそういったダンスとか以外の生活や「普通」のこと、
それも大事にするべきなんだということ。
例えばお洒落をする、とか旅行に行く、とか。

なんで狭い世界を嫌うかっていうと、
狭い世界にいると狭い世界に向けてしか発信できないからなんですよね。
別に狭い世界でもいいんじゃね?という意見もあるかと思いますが、
色々な人と異物と触れ合った方が単純に「楽しい」です。

そんなことを「絶対RED」に関わりながら、改めて思いましたとさ。



そんなこんなでもうすぐ今年も後半戦へ突入ですね。
色々思いながらも、貪欲に無節操に頑張ります。
バカだからなのか、やってみないとわからないんだ、残念ながら。

ありがたいことに少し長いスパンのプロジェクトに関わらせて頂けたり、
諸々種まきもしていこうと思っているので。


最後にメモ。
黒田育世さんの再演に対する考え方が面白かったので貼っておく↓
http://allabout.co.jp/gm/gc/443534/
未来の自分が何かの参考にしたら、ええのや。


2014/04/27

バリアフリーということを穿って考えてみる。

GWが始まりましたね。
GWとか、ここ10年くらい無縁です。
大学在学中もなんだかんだ公演の準備とかだった気がする。


今日はIntegrated Dance Company(仮)設立の為のWSに行って来ました。
最近ダンスで作品を作るってことだったり、踊るってこと以外に
何か可能性はないものかなー、と思っていたりするのでその興味と共に。
ダンスという手段をどう使えるのか、ていうことへの興味なんだと思います。

Integrated Dance Company(仮)は身体障害のある人とない人によって
構成されるダンス・カンパニーです。
詳細↓
http://www.musekk.co.jp/programs/2014_integrated%20dance.html


岩淵多喜子さんと鈴木ユキオさんが共同芸術監督としていて、
岩淵さんとは作品をご一緒したこともあるし、
鈴木ユキオさんのオープンクラスに何度か行ったことあるので
今回はどんなワークをやるのかな、と思っていたら
とくに障害のある方と一緒だから特別なことはない、という内容でした。

WS中にでた言葉で印象的だったのが
気にかける必要はあっても、特別なことをやる必要はないんじゃないか、
という言葉。


ここ最近バリアフリーという言葉はある種自己責任論に
似ているんじゃないか、と思うことがあります。
バリアフリーにするからあとは個人でよろしく、みたいな。
なんでもかんでもバリアフリーにするのではなくて、
バリアはある前提でどうするか、ていうことなのではないかな?と思います。
もちろんバリアフリーなうえで気にかける、が一番なのだろうけども。

なんでもかんでも臭いものに蓋的に処理するだけではなくて、
まず手を差し伸べてみるっていうことなんではないかな、と思います。
…この書き方だとバリアフリーが臭いものに蓋的になってしまうな笑

大枠でガブッて変えてしまう前に出来ることがあるなら
それを頑張ってみるのがいいと思うってことです。
大枠変えることって大変といえば大変ですからね。


そんな穿ったバリアフリーへの考え方と
WSをする時の考え方がなんとなく繫がった気がした。

障害っていうのは目に見えるわかりやすいバリアだけども、
バリアなんてどこにでもあるもの。
そういったバリアに対してもこうゆう考え方が出来たらいいのかも、
と思うのでした。

2014/04/22

アート?なにそれ、美味しいの?アートな意図。

ご無沙汰しております。
ホント気がつくとブログを放置してしまいますね。
放置しているから文章長くなるんだよ、多分。
長いこと放置していたっていうか、
逆に時が過ぎるのが早すぎるのではなかろうか?


前のブログ更新が3月11日だから、池袋のMovingDistanceも
六本木アートナイトにいたってはブログで触れることなく終わってしまった笑
そう、六本木アートナイトに参加させて頂いていました。
伊藤キムさん監修のもと、六本木パレードに。
130名という大勢で街中を練り歩くというのは、希有な経験で
引き起こされる狂騒とエネルギーが面白かったです。

感想としてはアートかどうかっていうのは別に良くわからないけど、
エネルギーあふれるもので良かったんじゃないかなぁ、と思います。
なんか「アート」って自称するのがこそばゆい感じがするのですよね。
「アート」は崇高であるべきだ、美しいものであるべきだ、
ということではなく、なんだかこそばゆい。
言葉のイメージ、なのかもしれませんが。
「アート」という言葉にまとわりつく難しさとか、選民性みたいなイメージが
こそばゆいのです。

FacebookとかTwitterでなんとなーく六本木アートナイトの感想をみていて、
なんとなく腑に落ちたのは「芸能」という考え方。
「アート」でも「芸術」でもなく「芸能」。
どちらかというとパフォーマンス的な作品が多かったから
そう感じたのかもしれないけど。
「芸能」ていうのがなんなのかはよくわかりませんが、頷けた。
「アート」とか「芸術」てなんか西洋的な考え方な気がするのですよね。
もっと生活レベルに根ざした、文化みたいなモノ。

話がまとまりなく脱線気味ですが…
ダンスとか演劇とか美術とか、その他諸々の表現活動が
「アート」とか「芸術」とかっていう選民イメージのある言葉から逃れて
もっと生活レベルで語られるようになるといいな、と思いました。
それぞれの業界の、狭い世界で悶々鬱々としているのではなくて。
それぞれがそれぞれの業界に向けて、ではなくて。
そんなん続けてても先ぼそる一方だと思う。


ダンスという手段をダンスの為とかダンス作品の為だけに
使うのではなくて、もっと広く使えたらいいな。
と、ここ最近思っています。
そういった方向性と、自分の表現として創りたいものを創る、という
二つのことを出来たらいいなぁ、と。

しばらく本番予定もなく、でも身体が鈍らないようにしなくてはいけない
アイドリング期間というか、なんともグレーな存在になる期間が始まった、
とちょっとブルーになりながらそんなことを思っています。

なんかやらんと、な。

2014/03/11

楽しい仲間がぽぽぽぽーん。

東日本大震災から36ヶ月、3年目の3月11日です。
ていう書き方をすると東日本大震災という1つの事柄が終わっていて、
それからもう3年も経ったんですよ、みたいな感じもします。

でも実際にはまだ避難生活を続ける方々は26万7419人もいるし、
福島第一原発だって全く収束していない。
だから3年です、とか区切りの良い話ではないのかもしれない。
言うなれば東日本大震災発生から、
もしくは東日本大震災が始まってから3年、なのかもしれないですね。

終わってもいないんだから忘れるとか、忘れてはいけない、
ていうことでもないのかもしれない。
正直、日々のうのうと楽しく暮らしています。
でも忘れていない、覚えている、忘れてしまっていても思い出せばいい。
忘れるな、という強迫観念に囚われず、前を向いて生きていけば良い。

だって後ろを向きながら前に歩く、後ろ歩きって大変ですよ?
前から来るものを見逃しちゃうし、キャッチしようとしても
通り過ぎてから気がつく。


2011年の3月11日は金沢21世紀美術館で
GRINDER-MAN「SONAR」の公演初日でした。
東北で、自分の生まれ育った東京で何が起きていようと
そこは金沢。Show Must Go On。

2014年の3月11日は東京芸術劇場ロワー広場で
GRINDER-MANのパフォーマンス「よろこびの歌」の本番です。
金沢で一緒に舞台に立った方と
また3年後も同じ舞台に立ちます。
でも3年前に同じ舞台に立った方とは
おそらく再び同じ舞台に立つことは無さそうです。
その時が今に繫がっているけど、その時とは違う、ということ。
感傷的な気持ちにもなるけど、過去は過去、いまはいま。

過去を背負って進むということ。
背負うことに疲れたら捨てる、ということ。
自分が生きているのは「いま」「ここ」ですから。
過ぎ去ってしまった過去には戻れないし、未来は確約のないもの。
揺るぎのない「いま」「ここ」を大事にしないとね。


色々な思いが巡る今日ではありますが、
パフォーマーとして、人としてしっかり人前に立ちます。
最近思うパフォーマーは何かと何か、例えばそれは音楽と身体だったり、
空間と身体だったり、虚構と現実だったり、人と人だったり…
を繋ぐことが出来る存在なのではないか、ということを体現できるように。
3年前とは変わったということをお見せできねば、
先輩方に笑われてしまいます。

そして1年前の3月11日は右膝手術の入院初日でした。
つまり右膝外側半月板の手術からちょうど今日で365日目、です。
絶好調かと聞かれれば首を縦に振るのは難しいですが、
以前と変わらずに動ける、ということは確かです。
今日のパフォーマンスでそれを体現できるように。
怪我する前と変わっていないということをお見せできねば、
色々な心配をかけてしまいます。


と書いているとなんだか3月11日は
とても個人的にマイルストーンな日なのだな、実は笑
でもきっと2011年3月11日を契機に変わったと思います。
変わったのか、変わってしまったのかは定かではありませんが。


人間は一人一人バラバラで、考え方も生き方も違う。
ひとつのモノになることは到底無理。
でもひとつに繫がることは出来る。
手を繋ぐには手と手をお互いに差し出さないといけない。
その差し出し合う手が美しい、のだと思います。

そんな気持ちで今日のパフォーマンス頑張ります。


GRINDER-MAN パフォーマンス小作品
「よろこびの歌」
「Moving Distance:2579枚の写真と11通の手紙」関連プログラム

日時:2014年3月11日(火)20:45〜
会場:東京芸術劇場 ロワー広場
入場:無料
協力:プーマ ジャパン株式会社

演出:タグチヒトシ(GRINDER-MAN)
振付・出演:伊豆牧子(GRINDER-MAN)
出演:天野悠二、榎本咲百合、香取直登、彼ノ矢恵美、神林佳美、

呉宮百合香、小山柚香、菅原理子、鈴木麗亜、ストウミキコ、
露木智美、東山佳永、平吹佳奈、深見友理、松本大樹、三橋俊平、
村田圭介、望月美里、龍福さわこ、渡邊愛祐美

http://grinder-man.com/info/20140202/yorokobinouta_2014

パフォーマンス当日の2014年3月11日は、
20:00より
「Moving Distance:2579枚の写真と11通の手紙」関連プログラムとして
ライブおよびパフォーマンスがおこなわれます。

20:00〜 world’s end girlfriend「Song to the Siren」
会場:東京芸術劇場 アトリエウエスト

20:45〜 GRINDER-MAN「よろこびの歌」
会場:東京芸術劇場 ロワー広場

Moving Distance
http://www.movingdistance.net





東日本大震災発生から36ヶ月

死者数    15,884名
行方不明者数 2,633名

(警視庁まとめ 2014年3月10日現在)

2014/03/04

最近思ったことをダラーッと書き綴る。

ひな祭でしたね。
ウチは男兄弟だし、猫もオスなのでとくに関係ありません。

1月下旬から全国を回っていたWORLD ORDERのツアーも無事終了し、
その合間を縫って1月下旬は新作ソロ、2月中下旬はソロ再演の稽古、
それぞれの発表も無事終了し、久々にちょっと一息つけそうな感じ。


WORLD ORDERのツアーは色々考えさせられたり、勉強になりました。
ハイレベルなパフォーマー、クリエイティブなスタッフの皆様と
関わらせて頂き、ジャンルとか関係なくしっかりといいモノを創る、と
いうことが大事なのだなぁと思いました。
表現というものは正解のない、完成しないものだ!
ということに甘えるのではなくある種の「応え」を出す、
完成度を満たすということは大事。このコトは肝に銘じておきます。

未熟であっても、手探りであっても納得のいくものを創る、てこと。


で、一昨日後輩の主宰するイベント「.zip by Comp 2」も無事終了。
自分は2012年に作ったソロ「BPM」を再振付けして、参加しました。
色んな作品のごった煮パフォーマンスで、色々考えさせられました。


そんな全く異なる2つの経験な訳ですが、
「観る」視点を想定するか否か、て結構大事だよな、てことを再実感。
それが良い悪いということではなく。

なんとなく思ったのは美術作品は観客がいなくても完成する、てこと。
「観る」視点がなくても成立する。
絵画は飾っておくだけで、街中の彫像はただそこにあるだけで、成り立つ。
だから美術側から発進している「パフォーマンス」という考え方は
身体表現を伴っていながらも「観る」視点が想定されていなくて、
そのへんが舞台表現とは違ったりするのかもなー、もやっと思ったり。

それと「観る」視点を想定するのか否かが
「アート」と「エンターテイメント」を分ける考え方なのかも、と思ったり。
便宜上、自分の純粋な表現を「アート」とした場合、
そこには「観る」側が面白いか、楽しいかどうかは二の次になるのだと思う。
逆に「観る」側に楽しんでもらう、面白がってもらうことを考えるのが
「エンターテイメント」なのではないかと思う。

作品として世の中に出すのであればどちらも大事なことで
この2つは明確に分けられるものじゃないんじゃないかなー、てこと。
バランスの問題、というか。
前回のブログでも触れた「自分が見たいもの」なのかどうか、
てことはそうゆう考え方からすると大事なことなんじゃないかと思う。

そんなコトを考えていたら、
意外と自分は「エンターテイメント」志向なのかもしれない、と思った。


「思った」という単語がやたらと出てくる、
小学生みたいな日記になってしまった笑
え?いつもそうだって?そうですね、小学生みたいな日記です、ハイ。


2014/02/21

他が為か?

気がつけば2月も終わりに向かっていますね。
最近は演出助手として関わらせて頂いているWORLD ORDERのツアーで
各地方に回ったり、3月に出演するパフォーマンスの稽古したり、
ソロ作品「BPM」の再振付をしたり。
ありがたいことに何かと忙しく過ごさせて頂いています。



盛り上がってますね、ソチ冬季五輪。
今回の五輪はなにかとメディアがやらかしている感じが面白いです。

五輪を見ていて思うのは、誰の為の五輪なのか?ということ。
メダルを噛むことの賛否とか、国費を使って五輪に参加しているのだから
「楽しかった」などという感想は言語道断、とか。
国費の大小の問題なのか、それも違う気がするんですよね。

なんとなく思ったのは、見ている我々が何を求めているのか、
てコトなのかもしれないな、と。
求めているものがメダルなのか、日本選手の活躍なのか。
例に挙げた2つはイコールみたいな部分ではあるんですけど、
この何を求めているのか、を考えることは結構大事な気がしました。

スポーツであるから目に見える形で結果が残る以上、
順位やメダルにこだわってしまうのは仕方がないことだとは思います。
そこに自分たちが納めた税金が投入されているのなら、
なおさらその思いが強くなってしまうこともわかります。



で、話はスポーツからダンスの方へシフトしてみます。
つまり、観客が何を求めているか、ということ。
作品を発表する以上、それに応えるべきなのか、否か、みたいなこと。

アーティストは基本的には自分のやりたいことをやっている、はず。
でもそれが他の人にとって面白いものかどうかはわからない。
それでもいいからモノを作るのか。
発表しないでモノを作ればいい、のかもしれない。

何かしらの作品を作る以上、
それは誰かの目に触れるものであるってこと。
だからやりたいことをやるってことはもちろん大事なことなのだけど、
それを自分が第三者的に見たいものなのかどうかってことも
大事なのではないかと思いました。
自分が見たくないものを作る、ていうのもよくわからないですしね笑

厄介なのはこの「誰かの目に触れる」ってコトにこだわりすぎると、
批判とか規制とか自粛、みたいな話になっちゃうことだ。

文化庁からお金もらってるんだから多くの人が楽しめる作品にしなさい、と
国費で五輪に行っているのだから「楽しかった」という感想はやめろ、は
じつは同じところが問題なのではないかな。

話は少し脱線しますが、多分これってモンスタークレーマーとかにも繫がる。
こっち(お客)は金払ってるんだからしっかりサービス提供しろよ、みたいな。
色々なことの根本に繫がっていきそうなのだけど、
そのすべてを統括してまとめられる言葉が見つからない。
他人に期待しすぎる、てこと?ではないのだけど。
義務と権利を履き違える、とかそうゆうことなのだろうかな…



話は戻りまして。
そんなことを考えていたら、
アーティストやアスリートは何のためにいるのか?と
思えてきてしまうのですよね。
色々な人に支えられて自分のやりたいことやっている、わけです。
たぶん、支えてくれる人が増えるほどにその先を考えなくてはいけない、と
なんとなく思っています。
例えばそれは子どもたちに夢を与える、ということだったり。
社会性、ということか。
スポーツや芸術に何をもとめるのか、人それぞれだし難しいものですね。

ブログ書いてたら寝るつもりだったのだけど、
浅田選手の演技見れそうな時間になってきてしまいました。
なんか、のびのびと演技してくれればいいなと思います。


2014/01/28

Aを愛すること≠A以外を排他すること。

なんと、2014年一発目のブログです。
が、早くも1月が終わりそうです。
あけましておめでとうございます。
年をとると1年が早く感じるとよく聞きますが、さすがに早すぎやしないか?

年末はイベントで踊ったりなんだりで意外と小忙しく、
ここ数年毎年新年のご挨拶動画を作ってHPにアップしていたりしたのですが
そんな暇もなく。
1月に入ったら入ったで先日終わりましたソロ作品「モンタージュ」の稽古やら
明後日から始まる、演出助手として関わらせて頂いているWORLD ORDERの
ツアーやらなんやらで小忙しい。

と、ざくっと年末年始を振り返ってみました。


ほんでまぁ今日は愚兄の所属していますGAIA_crewの公演
「ハラカラ・コエダス・レクイエム」を観てきました。
ここ最近のGAIA_crewの公演は劇団の目指すところというか、
原点に真摯に向き合っているということが強度として出ていると思いました。
演劇人とか演劇マニアに向けて作品を作る、ということではなく
「娯楽」としての演劇をお客さんに向けて作る、みたいな。
そのお客さんに真摯に向かう姿勢がただの観劇ということに留まらず、
カタルシスを伴った演劇参加体験になっていたのではないかなぁと思います。



観ていて思ったのは、
昨日リハーサルの帰りにダンサーの方と話していたこと。
その方はもともと演劇からダンスの方に移ってきた方なのですが
演劇はやはり脚本が全てだ、ということ。
それに対してダンスはダンサー自身が浮かび上がってくることが多々ある、
みたいな話。
要約すると、
演劇はいくら役者が素晴らしくても脚本がダメだったらつまらなく、
ダンスは振付が残念な感じでもダンサーの身体が魅力的であれば成り立つ、
逆に振付がいくら素晴らしくてもダンサーが魅力的でないとイマイチ、
みたいなこと。



なんでそんなことが起きたりするのかと考えてみたら、
やはり演劇は脚本の言葉の力・物語の力が強く、具体的で伝わりやすく、
そのへんがしっかりしていれば観ていられる。
役者の舞台上での在り方が弱くとも、一本の筋道が通っている。
それを今日思ったっていうのは在り方の弱さみたいなものを感じたから。
演技の上手い下手とか役になりきっているかどうかということではなく、
舞台の上にいることを自分が肯定出来ているか、みたいなことなのかな?
ちょっとわかりませんが…
なんとなく存在の弱さを感じてしまうことがチラホラ。

でもつまらなかったということは全然なく、
むしろ面白かったのです。
それは脚本がしっかり筋道として通っていて、
役者の方々がしっかり役を演じていたからなのだと思います。
なのに感じた在り方の弱さ、みたいなものが興味深かったです。



でもこれって(でもに対してでもで返すのってなんか変だな…)
ダンサー特有の職業病というか、観る癖なのかもしれないな、と思ったり。
さきほど話に上げたダンス作品におけるダンサーの魅力、
と関係するかと思うのです。

自分もそうですが、ダンサーの人って出ている人自身を見ていることが多い。
それは演劇のように役があるワケではなく、その人が踊っているから、多分。

ほんでダンサーも見せる身体になってしまっている。
このことは先日一般の方も交えた、とあるリサーチWSに参加させて頂いた時に
話に上がったこと。
身体はその人がどのように生きてきたか、とか時間の蓄積したものというのが
持論なので個人的にはそれはしょうがないことと思います。
トレーニングを積んできたダンサーはもうそれだけで存在感が出てしまう。
それを嫌って役者を使う振付家の人もいるみたいですが
個人的にはそれはなんだかなぁ、と思ってしまう。
だってそれじゃあダンサーという存在が意味ないもんね。
ダンサーがその存在感をコントロールできないといけないのかもしれないけど
積み上げてきた時間の、身体の話だからねぇ…難しい。

ちょっと深夜なので話が脱線したり、まとめきれていない感じもしますが
要は演劇は脚本が要、ダンスはダンサーが要、みたいなことでしょうか?
しかしそれ以前に舞台の上にどう在るか、
というのがやはり根本にあるのではないだろうかと。
それは練習を積めばいいということでもなく、多分覚醒すること。
もちろん練習を積んだうえである日突然覚醒するのでしょうけども。




そう、この画像貼りたかっただけ笑
マンガと一緒な気がするんですよね、舞台も。


出演していた兄の話でいえば、
もっと貪欲に色んなところの舞台に挑戦したり、
色んな作品見たりした方がいいんじゃない?てことかな。
別にそれは現状が良くないと言っているワケではなく、
居心地の悪いというか、見知らぬ土地にも出かけていくということ。
戻って来れる場所はあるのだろうから。
人生やり直しが効くとはいえ、年を重ねる毎に選択肢は狭まるというか、
後に引けなくなってくるというか。
ボッコボコにしてもらえる年齢も限られているだろうし。

とまぁなんか偉そうな事書きましたが、これは自戒もこめて、ですね笑

YouTubeのアップロード待ちでブログ更新しようと思ったけど、
オーバーしちゃったし、まだタイトルと関係あることにまで
たどり着けていないのだけどもう眠いし、まとまらない気がしてきたので
無理矢理今日の感想でまとめて終わります。
気が向いたら更新します。

夜中に文章考えながら書くのは、あまり良くないですね。