2017/03/29

終わりをみつける。

もう気がついたら3月も終わろうとしてますね。
2016年度もお終い、です。

ご存知の方はご存知かと思いますが、実は某カジュアル量販店でバイトしていまして、
本日その最終出勤日でありました。
気がついてみたら勤続4年半、自分でも接客業に向いていないと思っていたのに
ずいぶんと長いこと続けてこれたものだな、と思います。
それもこれも案外にシフトの融通を利かせていただいたり、
マイペースで働かせていただけたり、
色々とよくしていただいた職場の皆様のお陰かと思います。

ありがとうございました。

職場での経験は色々と得るものも多く、いかに自分が狭く小さくマイノリティな世界にいるのか、
ということをとても思い知らされました。
みんな日々の生活を成り立たせるだけでも忙しく、
自分のやっていることなんて意味あるのかなー、と思ったりもしましたが
全く別の内容で職場の女の子と話していたときにふと自分で言った
「価値観の違いがあるから色々な仕事が成り立つ」という言葉で色々と腑に落ちました。
我ながら良いこと言ったな、て思いました笑
 
さてちょっと脱線しましたが…
辞める理由、というのはこれといったものはないのですが
例えるのならサーファーが今日はいい波がきそうだな、と思って海に行って、
いい波に乗る、みたいなことなのかな、と思っています。
今日はいい波がくる、という経験と感覚によるもの
いい波に乗るためには海に行って波を眺めているだけでは無理で、
実際に海に入っていい波を待ち続け、タイミングを合わせて乗らなければいけない。
色々考えてみて、そんなたとえが浮かびました。
……うん、なんとも伝わりずらい例えだ笑

あとは他にも春だから、とか大学生活よりも長く勤めた(4年半)から、とか
色々理由を考えてみたのですが、もっと自分のやりたいことのギアを上げたい、と
シンプルに思ったからなのです。
言うたらいい年齢になってきましたし、それなりのキャリアも積んできたわけで
4年半前とはまた色々と変わってきている。
そういった諸々の変化の中で今一度決意を新たに、ギアをひとつ入れる感じを持ってみたいな、と。
決意を新たにするだけでは人間は変わらず、環境や行動を変えないと変わらないらしいですし。
正直ダンスだけで食べていける算段なんて皆目ついていませんし、
安定的な収入源なくなるぜーッ、みたいな不安もあるのですが
まぁ思い切ってやってみちゃえ、という部分が強かったので。

春ですしね。

ということで時間の融通が随分と利く生活になりましたので、
お仕事とかお仕事とかお仕事とか楽しいお誘いとか、ぜひぜひお誘いくださいませ。
でも4年前とかはそんな感じだったんだよなー、と思うけどもっとダラダラしてた気がする。
こりゃ気をつけないとダラダラしちゃうんだろうな。
ダラダラしない様に皆様ご協力くださいませ笑

あ、ひとつだけ。

仕事辞めたといっても仕事のひとつを辞めただけで10年以上続けているイベント設営撤去の
バイトとかもやっているのでご心配なく。


あと今回辞めるにあたって「終わりをみつける」ということなのかもな、とも。
「終わりをみつける」というのはよく稽古で即興などをやっていると言われることなのですが、
始めてしまうことは意外と簡単でどのように収束させるかの方がよっぽど難しいということ。
ダラダラと続けられてしまうものです、案外と。

思えば今までの人生で自分ではっきりと終わりを決める、ということは
あまり無かった様に思います。
いつの間にかフェードアウトしていたり、学生生活の様にある期間が終わったから終わったり、
そうゆうことは振り返ると多くあるのですが、自分で決めた終わりはあまり無かったかも。
そういった意味でもよかったのかもな、と思ったりします。

放っておいても終わりはくるし、放っておいたら終わってしまう。
それは人生もそうだろうし、人間関係もそうなのだろうと思います。
終わりをみつけることで始められることもあるし、始めるために終わらせる必要もあったりする。
別にセレモニー的なものも無いし、日々の生活の中の1ページなのだろうけど
ひとつ終えて、またひとつ始めたいと思います。

重ねてになりますが、4年半お世話になりました。



2017/03/11

6/4,600,000,000。

なんだかんだで久々のブログ更新になりました。
2月の公演も無事に終わり、確定申告が間に合うのかどうかハラハラしながら
例年よりマスクをちゃんとつけるという、いわゆる普通の予防法により
軽く感じる花粉症に苦しめられつつも、今年も3月11日です。

最近思うのは、地球の歴史から見たら6年という歳月も一瞬で
きっとまた起こることなんだろうな、ということ。
別にそれは悲観しているとか諦めがあるということではなく、
多分起こりうる事実、ということなのだと思います。

そんな風に考えると、人間の一生なんて地球レベルで見たら一瞬で
儚く、とるにたらないことなのかもしれないけど。
でも顕微鏡的に深く深く潜っていったら、とても濃密な時間、みたいな。
相対性理論てこうゆうことなんでしょうか?

一瞬の、光の様に過ぎ去るものだったとしても、強い光であれば
影すらも焼き付ける様に。
その焼き付けられるものが人生なのかもしれませんね。
 

正直震災のことと国のこととか合わせ考えると暗澹たる気持ちにはなりますが…
それも大事だけど、やはり日々生きていくことを丁寧に、
一度きりの、光の様に過ぎ去ってしまうのかもしれない人生を
しっかり謳歌することが大事なんじゃなかろうかな、て思ったりします。

3.11を忘れるとか忘れないとか、そこにこだわり続けるのではなくて
人生のなにか考えを新たにする契機としていけたらいいな、と。
毎年ブログ更新する必要もないのだけどね、
やはりいいきっかけなんだな、て思います。
毎年更新してると過去分見てみるのも面白いしね。



今年は、そんな感じです。



東日本大震災発生から189,302,400秒

死者数           15,893名
行方不明者数   2,553名
(2017年3月10日付 警視庁発表 )