2012/12/31

しっかり生きて、それから死にます。

お、お、み、そ、かッ!
無駄にハイテンションな幕開け。

2012年も今日でおしまい。
明日から2013年が始まりますけども、続くのは今日の延長。

今年1年を位置づけるのであれば、「助走」の年かな、と。

年末になりますと、忘年会などにお呼ばれして飲む機会やらが多く、
その席ごとに思うことはもっと頑張らないといけないな、ということ。
頑張ってますよ?っていうのは簡単だし、実際結構頑張っていると思うけど
まだまだなんだろうな。
走っても走っても先は見えませんし、不安定。
それでも走り続ける。ただただひたすらに。

自覚しないといけないことは
自分のいる世界なんて狭いもので、そこからいかにリーチアウトしていくか。
限られたパイを食いつぶし合うだけではなく、パイを大きくすること、
新しいパイを探すこと。
…なんでパイで例えたんだ?笑

なにはともあれ、来年を迎える前に今年一年色々な方にお世話になりながら、
迷惑かけながらも、平穏無事に過ごすことができたことを皆様に感謝。
日々死に向かっている身体ではありますが、まだまだ死なないし、
死ぬほどやってない。
今年の活動が次に繫がる「助走」となるよう、来年も必死にがむしゃらに。
まだ若い、と強がりのような言葉とともに突っ走ります。

今年も一年お世話になりました。
来年もどうぞ、より一層よろしくお願いいたします。

良いお年を。






2012/12/17

未来に復讐される、ということ。

はい、選挙でしたねー。
あんな感じの結果ですってー。

投票日が近づくにつれて陰謀論的なモノやマスコミの功罪がうんだかんだ、
みたいな諸々がtwitterのタイムラインに流れてきたりで。
なにが本当のことなんだか、もはやよくわかりませんね。
だがしかし、決まってしまったものは決まったものなので。
現状に対してどうするのか、ていうのは何にでも言える話。
「あーあ」って言って諦めるのは簡単ですからね。

個人的に恐れていることは、仮に将来的に子どもができたとして、
将来の現状に対して恨み言を言われること。
徴兵されゆく息子に、「なんで戦争に行かなきゃいけないの?」とか
言われたら苦し過ぎる笑
いやいやいや、笑えない笑えない。
「戦争に行って、立派に敵を殺してきますッ!」とか
嬉々として言われたら立ち直れないわ、きっと。

未来の現状っていうのはもう既に起こってしまっていることだから
その時点ではどうしようもないんです。
でもあくまで「未来」のことなので、現在なんとかすればなんとかなる。

未来にとっての過去は現在である、というのは好きな言葉です。

ただ同時に、この言葉は怖い言葉でもあるのです。
今やることやらなきゃ未来で文句も何も言えないぜ、ってこと。
自戒としての教訓でもあります。

やれることはやっておきたい、未来に復讐されたくないですもの。
未来に?未来で?いや、未来に、だな。
未来の現状、その現状を作った現在、
つまり未来にとっての過去(=現在)が恨まれる。


正直立派な社会人ではないですし、立派な社会人になれる気はしませんが、
頑張れるところは頑張りたい。
好き勝手やってるだけなんだろ?って思われないようにね。



2012/12/13

ターニングポイントは意外と後で気がつくもので。

どうも、ご無沙汰しています。
今年の冬は寒いですね。
温暖化って気温が上がるんじゃなくて、気候のバランスが崩れること、
だから寒くなるという可能性もある、という話はなるほどなぁと思う。

最近は来年2月に地域創造公共ホール現代ダンス活性化事業、
通称・ダン活で再演する「1 hour before sunset」の思い出し稽古やら
来年2月の横浜ダンスコレクションでダンサー参加する作品の稽古やらで
今年はずっとなにかしら作品に関わり続けさせて頂いてありがたいことです。


さて、今日をもちまして大学卒業時からお世話になっていました
玉川みなみさんのクラスが終了しました。
本当は来週あと1回あるのですけども、仕事があって行けないのでして…
といっても、「1 hour 〜」の再演でも共演する為
リハーサルでお会いするので全く実感は無く、
さらーっといつも通りな感じでした。

しかしながら、振り返ってみると大学卒業して4年…
よく舞台活動を続けてきたものだなぁ、と。
正直先の見えない、不安定な社会人生活です。
何度リクナビを見たことか笑
言ってしまえば色々な選択肢やお誘いはあったわけですが
それらを切ってまで選んだ道。
卒業当初は何者でもなかったわけですが、
今は「ダンサー」と名乗れる自信と、
名乗るべき責任があると思っています、なんとなく。
それらは今思ってみたら、
なんだかんだ続けてこれたことがあったからなんでしょうね。

最近というか定期的に思うことで
「何故こんなことやっているのか?」ということ。
正直創作活動なんて時間もかかるし、苦しいし、生活は不安定だし…
でも辞められない。
安っぽく言ってしまえば「Priceless」ということなのだろう。
ただそれはあくまで私的だったり内輪的な視点の話であって、
例えば社会全体的に見てどーなんよ、その活動?ってこと。
前にも書いた話のアリ的な存在、とか「アリとキリギリス」でいえば
キリギリス。アリばかりの世界じゃ楽しくない。
最近思うのは効率が優先される社会において非効率的なことをやっている、
ということや「生き方」の豊かさ・選択肢の提示なのかもなぁ、と。
なんで自分の生活を削ってそんなこと提示してんねん、
と思ったりもするわけですが笑

それと先日参加させて頂いた小野寺修二さんのF/Tモブで
小野寺さんが仰っていた「人間力」を上げるために創作活動やっている、的な
考え方もなるほどなぁと思う。

色々書いたわけですが…
そんな風に理由を探さないとやっていけないようじゃアカンですね笑
それらしく理由を付けて、やっていることを正当化しようとしているのかも。
でもそんな理由とか見つけなくても、なんか色々モヤモヤしたままでも
たぶん、続けていくのでしょう。


振り返ってみると、大学卒業時に27歳までにひとつ区切りを付ける
みたいなことを考えていたように思う。
丁度今年がその年。
不安定に生きているのを生暖かく見守ってくれている親や
卒業後お世話になった方々に
何かしらの形で「応え」を出していく時期なんだろうな、
とちょっとしみじみと思う日でした、今日は。
そんな今日は2012年12月12日で、同じ数字が3つ並ぶ日。(12,12,12)
次この現象が起こるのは2101年1月1日(1,1,1)だそうです。
多分その頃には生きてないでしょうね。
へぇー…


来年からはまたひとつ挑戦したいと思っています。
…あ、今年のシメみたいになってますけど、まだ何回か更新しますよ、多分。




2012/11/18

In other words…

11月ですね、早いものです。
光陰矢の如し、ってこうゆうのを言うのでしょうかね。
もう来年に向けてまっしぐらですよ。
先生方も走り出す、そんな季節になってまいりました。


最近何をしていましたかというと、
HPtwitterではお知らせさせて頂いておりました、
synapse公演「Intracellular Memories〜細胞の記憶 vol.4〜」に参加していたり、
バイトに明け暮れたり、観劇ラッシュだったり。
自分で予定した予定にヒーコラヒーコラしながらも淡々と暮らしています。

今日は「Intracellular Memories〜細胞の記憶 vol.4〜」の振り返りでも。

ダンスカンパニーsynapseは大学時代にダンスでお世話になった
玉川さやかさん、と
大学卒業後にダンステクニックの基礎を師事している
玉川みなみさん、
の玉川姉妹によるカンパニー。
今回お誘い頂き、公演に参加させて頂きました。

synapseはその今までの経験とは全く違うアプローチ、
「イメージ」や「感情」から始まる身体、というものでした。
ざっくり言うと。


正直「感情で踊る」とか「感情を作る」とか言われてしまうと、
ちょっと引いてしまう部分が自分にはあって、
最初はなかなか大変でした。
おそらく「感情」という言葉に対してコンプレックスというか、
畏敬の念というか、軽々しく扱いたくない、というのがあったのでしょうね。
でも稽古時間の半分近くは語り合い、みたいな稽古を重ねていくなかで
そういった考えは変わりましたね。
というか、実は今までやってきたことや自分が興味もっているところと
変わらないんじゃないかな、ということに終わってから気がつきました。

ただそれをどう言葉で表現するのか、っていうこと。

人によってはそれを「感情」と言うだろうし、
またある人は「エネルギー」と言うだろうし、
また別の人は「イメージ」や「質感」とも言うのかもしれない。

そのことをどう表現するか、って言うのが面白いところ。
その表現の仕方がその人は何を見ているのか、何に興味をもっているのか、
って言うことに繫がるような気がした。
個人的には「感情」と言われてしまうと引いてしまう部分があったり、
でも逆に「感情」と言われた方が腑に落ちる人もきっといるんだろうな。
そんなことを思ったものです。


そしてついつい忘れがちだけども、
ダンサーは振付家の思いを背負っている、ということ。
そんなことを改めて思わされました。
だからそれに応えられる身体で、頭で、心であることが
良いダンサーには必要なんだろうなぁと思います。


大学卒業して4年目、色々と経験させて頂いたり学んで行っている中で、
ひとつの集大成というか、良いタイミングで関わらせて頂いた公演だな、と
心底思っています。
誘って頂いたさやかさんに、そして一緒に踊ってくださったみなみさんに、
感謝多謝でございます。
公演終わってからダダダーッと2週間経ってしまって、
色々思ったりしてまとめとこうかなー、と思いつつも機会を逃し、
でもなんだか強く残っていることはそんなところです。


もっと頑張らにゃね。

2012/10/23

AnswerとReaction。

朝方に転向しつつある日々です。
朝日とともに某カジュアルファッションブランド旗艦店にバイトへ行き、
午後はリハや現場でのバイトという生活はハードながらも
慣れとは恐ろしいもので、慣れてきました。
案外某カジュアルファッションブランド旗艦店でのバイトも
予想外に長続きするかも?と思いながらも、
今まで続けてきた自由なその日暮らしの甘い誘惑はとても強いわけです。
でもね、いまは目的があって働いてるからなんにせよ良いと思います。

慣れつつも、忘れないこと。

今日はアトリエ・ダンカン/デラシネラプロデュース「日々の暮らし方」を
観てきました。
その感想や思ったことをチョロチョロと。
多少ネタバレを含みます、多分。お読みになる場合はそのへんのご了承を。

面白かったです。
用意して頂いた席が良かったこともあるのでしょうが
舞台上の遠近感がとても印象的でした。
舞台上にある水槽の水が揺れて生む、不定な波に見蕩れました。
舞台空間にある家具が縁取る水平や垂直の線の中でユラユラと揺れる様が
不条理とういか、現実の、日常の不確かさを表すかの様で。
安部公房の「砂の女」を妻の視点から描いたような、
不条理の外にも不条理があるような、
「砂の女」に出てくる妻が「燃え尽きた地図」に出てくる依頼人の女に
重なるような感覚。
「不条理だ」という人の「合理」や「常識」は一体誰が認めるのか、
見る視点、立つ立場によって見え方、「日常」は違うのだなぁと
なんとなく感じさせる作品でした。
個人的には「HELLSING」の少佐の言葉が脳裏をよぎりました。

で、今回も感じたのは震災以後の変わってしまった自分、というもの。
以前もblogに書いたかもしれませんが、例えば散乱する大量の「モノ」に
イメージの中で泥をつけ「瓦礫」に変えて見てしまう、というようなこと。
ふとした節々に震災の影、
例えば行方不明者について語るシーンがあったりとか
揺れる水面を見て津波を想起したりだとか。
それは恣意的に演出されているのかはわかりませんが、
震災がなかったらきっとフックにならないことだったろうなぁと思うと、
日常生活に大きな変化はないけれども、
その日常生活をする自分たちは変わってしまったのだな。
日常ということはちょっとしたことで変わる、
そんなことを「日々の暮らし方」という作品を通して再確認した感じです。

公演の後、楽屋にご挨拶に伺ったときに
小野寺さんに震災のイメージをちょっと感じました、と感想を伝えたところ、
そうゆうことにも向き合わないとね〜、というようなことを仰ってました。
どのくらいのことが狙いだったのか、とかは聞きませんでしたが
「向き合う」という表現がなるほどなぁ、と感心しました。
SPACで「オイディプス」を演出していたときも「悲劇」と言い切らずに
結末をグレーにぼかした、というようなことを仰っていたのですが
このグレーにぼかす、というのがとてもいいなぁと思うのです。


震災以後ということからは逃れることはできない。
できないのであれば、それとどう向き合うのか、という話。
それは「答える」ことではなく、「応える」ことなのかな、と思う。
「答え」は「正しい」「間違え」という正否を生むような気がするからね。

放射能に関する諸々の実状といわれるものがFacebookやらtwitterに
流れてきますが、それを他人に強要することはできない気がしています。
確かにそれは「答え」なのかもしれないですし、
なにかアクションを起こさないと現実は変わらない、
ということも思っています。
しかし、それを強要することはできないように思います。
でも知らせることはできると思っています。
そこからはどのように各個人が動くか、で良いと思ってしまうのです。

日常に生じている「軋み」から目を逸らす感覚がそこにはある気がします。
例えばたまっていく洗濯物や洗い物、
机の上に積まれていくDMや公共料金、携帯電話料金の明細書。
それらから目を逸らし続けたら机は汚くなるし、
明日着る服は無くなってしまう。
まぁ実家暮らしの自分は洗濯してくださる方いるので
明日着る服が無くなるってことはないのですが笑

でも、そうゆう目を逸らしていても続いていく日常はあるわけです。
誰かがやってくれていることで、なりたつ日常。

その誰かという、不確かな存在が無くなった瞬間に日常は崩壊するのかぁ
と色々と飛躍したことを帰りの山手線の中でボーッと思っていました。
だからたまには自分でみんなの分も洗濯したり、机の上を片付けないとね笑

慣れきってしまった「日常」だけれども、
忘れてはいけない誰かの「日常」という「非日常」がある
そして今慣れている「日常」も既に変わってしまっている「日常」である、
ということを掘り起こしてくれる良い観劇体験でした。
28日まであうるすぽっとにて。面白い作品でした!

感想から色々飛躍してしまったな。もともとそのつもりだったわけだけども笑
でもいつも読んでくださっている方が(いるとしたら)
もうそのへんは慣れてくださっているのではないかな、と。

「慣れ」とは恐ろしい、ね。
明日も早起きです。

2012/10/16

終末からの月曜日。

今日は火曜日ですけども。
早起きは三文の得と言いますけど、確かにその通りで。
一日を朝からタップリ使えるので色々な用事が詰め込めます。
でもそんなお得な生活を続けるには早寝が欠かせないわけでして…
一日にたっぷり用事を詰め込める分、しっかり寝てないとこの時間にはもうしんどい。
それがここ数日の思うところ。

先週の土曜日あたりからなんだか不思議な空が続いていますね。


ネット上でも周りでも「地震雲か!?」と騒がれていたり。
単純にキレイだなー、と思っていたのでちょっと自分不謹慎なのかしら?と
若干思ってしまいました。


確かにキレイだけども、不吉に感じるのもわからなくはない。 


ちなみにこの写真↑はbow-wow打ち上げ明けの空。


(All photo affected by Instagram)

美しい風景にはなにか「終末」を感じさせるものがあるのかな、と思う。
というよりも、壮大なスケールな「なにか」(とくに自然)に対して
畏怖のようなものを感じ、それが「美しい」と感じることに繫がるのかも、と
ふと思う。

そんなこんなを思っていたら、小学校のときに原爆のキノコ雲を授業中に見て
誰かがそれに対して「キレイ」という表現を使ったことが問題になった、
というのを思い出した。
沢山の人の命を奪った原爆を「美しい」と感じるだなんて言語道断で不謹慎、
ということだったのでしょう。
でもそこにあったのがとてつもない「なにか」に対して感じる、
言い様のない畏怖感が「美しい」という言葉に変換されていたのだとしたら、
それも頷ける話だなぁ、と思うのでした。

現に、あのキノコ雲を原爆によるものです、と言われなければ
美しく感じるのかもしれない。
というか、美しいと感じなくもない。
でもそれを言うことを不謹慎と思われるとか、
そうゆう周りからの視線で自粛しているってことは
きっと多々あるんだろうな。

美醜とは何か、ということに繫がるのだろうな。
若いが美しいこととは限らない、死が忌むべきものとは限らない。

なんとなく思ったのは、そこに大きな「エネルギー」があるものは
畏怖を、美しさを感じさせるのかもしれないな、ということ。
その「エネルギー」がどんなものかは別として。

言葉の選択、表現って難しいものだな。
それの練習も兼ねての、ブログだったりするわけですね、これ。
だから多分、不謹慎な発言もいっぱいありますよ笑

でもその不謹慎な発言も一義的に捉えないでね、
という弁明を含めた備忘録でした。

風呂入って寝るだよ−、早起きで三文得するために!


2012/10/14

近況報告やら振り返りやら、ダラダラと。

すいません、ものすごくブログを放置していました。
4ヶ月も放置していました。
前回更新したのが梅雨時だったので、季節1つ丸々未更新です笑
そして久しぶりに更新しようと思ったら、
ブログ編集画面の仕様が変わっていたり。
4ヶ月で色々起こるものなのですね。
地味にHP更新していたり、twitterで毎日下らないことを含めて
呟いてはいたのですが、改めてブログ放置していたことを反省。

今日は近況報告やら告知やら、振り返りやらをダラダラと。


9月下旬からGRINDER-MAN「bow-wow」、自作ソロ「BPM」の発表、
そして大学時代のメンバーとの自主公演「おばけ」と立て続けに3週間、
毎週末公演をやっていました。
ご来場頂いた皆様、遅くなりましたがありがとうございました。


・GRINDER-MAN「bow-wow」
GRINDER-MANとしては久々の東京近郊での公演。
東京近郊での公演は初めて参加させて頂いた「MUSTANG MONO」以来か…
あれからもう4年経つんですね〜しみじみ…
今までGRINDER-MANの中核を担っていた方々が今回不在だったり、
「感情」ということにフォーカスしたり、とGRINDER-MAN的にも
新しい試みがある中、色々腑に落ちることがあったり、
新しい発見ができたりなど個人的にとても良い経験になりました。
メンバーも面白いメンバーが集まり、良い刺激を受けました。


・自作ソロ「BPM」
GRINDER-MANと並行しながら作っていたソロ作品。
じゅんじゅんさんのクリエイションWS「PhysicalDrawing」で
ソロ作品を作っているとはいえ、ゼロからテーマを探してきて
一人で作るソロは初挑戦でした。

いやー、なかなか大変でした。
まず稽古場でテンション上げるのが大変でした笑
一人だといくらでも怠けられるし、ギアを上げていくのが大変。
動き始めてしまえばバリバリ進むのですが、
意外とスロースタートになってしまうものなんですね。
なんだか色々勉強になりました。

さて、この「BPM」という作品の解説でも書いてみようかな、と。
この作品は本川達雄氏の著書「ゾウの時間ネズミの時間」に着想を得ました。
ざっくり本の内容を説明すると、
ゾウとネズミは1分間の心拍数がまったく違うのですが
生涯に打つ脈拍の数は同じ、ほ乳類全般が、生涯に打つ脈の数は同じ。
他にも食べる量と身体のサイズの話やらが載っていますが、
着想を得たのはこの「心拍数」の下り。

実の話をしますと、自分、この本をちゃんとは読んでいません笑
もちろん読んでないって相当ダメだとは思っているのですが…
絵本Ver.( http://amzn.to/X5o6qx )は読みました。
…あまりフォローになっていないけどね。

話は戻りまして、この生涯心拍数というヤツは
人間には当てはまらないらしいのですが、当てはまるとしたら…と
仮定して作品のテーマとしました。

心拍数を上げるということはある種の自傷・自殺行為。
踊るという命を削る行為。
そしてそれを舞台上で観せるということ。

去年の震災で「そんなことやっている場合じゃない」と
舞台を自粛しているところは沢山ありました。
でも自分のやっていることを「そんなこと」に堕したくはないな、という
思いがあり、ストレートに命を削っている行為だということを
表現してみようかな、と。

舞台に上がり、それに時間を割いて観に来てくださるお客さんがいる。
そのお客さんに見せられるものは何か。
時間を割く、ということは人生をそこに割くということ、
人生の一部を頂くということ。
その割いてくれた人生に何を提供できるのか。

万人に、平等に等速で流れる「時間」
その同じ「時間」を過ごしている中で見ているお客さんに
密度の高い「時間」≒高い心拍数・高いエネルギーの「時間」を提供する。
それをシンプルに「心拍数」ということに置き換えて可視化。
ざっくり説明するとそんな思いで作った作品でした。

創作ノートやらメモ書きを見てみたけど、上手く言葉にまとめられなく
ざっくりした説明になってしまった。
でも杉山至さんの言葉を借りるのなら言語化できないものだからこそ、
作品にするのだと思うのでそれはそれで良いのかな。
あとは見た人がどう思ったか、で良いのだと思います。

個人的にこの「BPM」という作品、深化させていきたいなぁと思っているので
今後も機会があればやりたいと思います。
デュオとかアンサンブルで作ってみるのも面白そうだし、
振付の内容よりも構成とかフレーム部分が重要なので
違う人に違う振付で踊ってもらうとかも面白そうと思ったり。


・Dance Omnibus「おばけ」
はい、怒濤の3週間の締めくくりは大学時代のメンバーとの
小作品オムニバスの自主公演でした。
大変でした、初めての自主公演は…
色々勉強になったなぁと言うのが正直なシンプルな感想。
去年の年末忘年会の企画が流れ流れて、かなりのロングスパンを経て
実現できたのは良かったと思います。

しかしまぁ、大変でした笑

でも観に来てくださった方々からご好評の声を頂いたりしているので
それを励みに、まだまだ未熟ではありますが頑張りたいと思います。


うん、夜も更けてきたので内容がざっくり雑になってきた笑


最後に近況報告。

11月にも舞台に出演させて頂きます。
大学時代にお世話になった恩師、
大学卒業後ダンステクニックの基礎を学んでいる師の
姉妹によるカンパニーsynapseの公演です。
詳細はコチラ↓
http://www.otona-shonen.com/Infomation/20121013.html

今までの自分にない詩的なアプローチ・ボキャブラリーに挑戦しています。
身体や動きから生まれる感情というよりもイメージから生む、ということ。
色々刺激を受けています。
ご都合よろしい方、ご興味ある方、ぜひご来場ください。
よろしくお願いします。

あと最近お金を貯めたいと思い、
某カジュアルファッションブランドの新規旗艦店でバイト始めました。
資本主義ってこーゆーことかぁ、と思いつつ働いています。
多分長続きしません笑
ちょっと自分の生活スタイルと合わないんだな。
でもとりあえず目的のためにお金が必要なので、働くよ!貯めるよ!

そんなこんなで久々に長文書いたので疲れました。
このへんで、また近々更新したいと思います。


2012/06/12

無い袖は振れぬ、無いものは違えず。

梅雨入りしたんだが、寒かったり暑かったり安定しない日々。
安定しているのは雨が降り続くことか。
ちなみに「五月雨」とか「五月晴れ」っていのは旧暦の話だから
現代でいう六月のこと、梅雨のことだそうですよ。


今日はこないだラジオを聞いていて思ったことを少々。
ラジオでの話の内容は↓
http://podcast.tbsradio.jp/dc/files/miyadai20120608.mp3

宮台さんがまぁアツく語っているのだが、
興味をもったのは大学教育云々って話じゃなくて「価値観」の話。
「価値観」が無い、というのは結構新鮮な切り口。

よく「価値観」が違う、という話は聞くけども
そもそも「価値観」が無いのではないか、ということ。
「価値観」が無ければ比較にもならず、衝突にもならず。
そしてこの「価値観」というものを提示するのが
アートだったりするのかな、と。
新たな視点というか、新たな価値を見いだす。
そもそもアートというものが「価値観」の一種の現れだったりするのだろう。

そんなことを思ったので備忘録としてつらつらと。

それにしても「アート」という言葉を使うときの、
どこかむず痒い気恥ずかしい感じはなんなのだろうか。
日本ではいかにも高尚なこと、みたいな響きを持っているからなんだろうな。
アートがより身近になるにはアートという名前を捨てなければいけない、
これは大学受験時から思っている持論。
久々に思い出したわ。

でもこの言葉の響きが持つイメージというものはデカい。
「ダンス」に対しても「演劇」に対しても
言葉の持つイメージが貼付いている。
貼付いたイメージと上手く付き合いながら、時にはそれを破壊して。
そんなことをするべきなんだろうなぁ、とぼんやり。

なんだか脱線しましたが、今日は「価値観」の話。
嗚呼、虫歯が痛い。

2012/06/06

for what…ambivalentみたいな話。

明日は金星が太陽面を通過する、そしてAKB48の総選挙だそうだ。
フジTVで生中継するらしい。
へー


さて、前回紹介したバナナ学園の件。
紹介した手前、一段落ついたらしいということもご紹介。
http://banagaku.xxxxxxxx.jp/

で、今日発見した下記のまとめで個人的にはしっくりきた。
http://togetter.com/li/312684

今回のひと騒動で「何のために舞台に立つのか」「何故舞台があるのか」
という意外とシンプルなところに個人的に思い至る。
「観客」のためか、「自分」のためか、「演出家」のためか…
「観客」というのが一番しっくりくるのだが、
なんとなくどれもイマイチしっくりこない。
「自分」だとか身内のためだけにやっているのだとしたら
それは学芸会とあまり変わらない。
それは学芸会で補えば良い。
「演出家」のためにやっている、そうゆう側面もあるだろうけど
それだけじゃない。
ひょっとしたらそれだけになってしまったから今回のような騒動に
なったのかもしれない。

正直自分自身もよくわかりませんが、
よくわからないけどやっているからエネルギーがあるのかな、
と思ったりもする。
あとは前の日記http://bit.ly/KcTVVLで触れたようなアリの話か。
アリつながりで言えば、アリに対してのキリギリス的生き方の提示か。

脱線しますが星新一の「未来イソップ」のアリとキリギリスの話、
結構好きです。
アリのみでは人生つまらない、という感じ。
アリとキリギリスが良い具合に共生できれば良い。
そんな社会、素敵だわね。

よくわかならないけど、一生わからないのかもしれない。

でもそういった自己矛盾、舞台をやる理由はよくわからないがやる、
みたいなものを抱えながらもやっていることが良いのかもしれない。
大義名分とかを大っぴらに掲げすぎない方が。
掲げないけど、全力でやる。

とりあえずそんなスタンスで。
自分を納得させたうえで、挑む。

そんなことを今日バイトでアルミの足場を拭き続けるという
単純作業をしながら思ったのでありました。

2012/05/31

モラルの崩壊が生むのはルールの束縛。

最近は歯の治療をしたりなんだりして過ごしております。
時間がかかることなので公演やら稽古やらが始まる前にしておこう、と。
やはりコーラは歯によくないそうです。
あと激しく踊っていると歯と歯がこすれて、歯ぎしりしているような症状が
見られるそうです。
歯を磨くのは食後30分以上空けた方が良いそうです。
食後すぐは口内が弱酸性で、その状態で磨くと歯が痛むそうです。
最近仕入れた歯の情報。

さて、本題。というか、アーカイブとして綴っておく感じ。
ここ数日twitterやらFacebookを少々賑わしている「バナナ学園」の件。
ことのあらましは下記URLを参照していただければ。
http://togetter.com/li/311063

でもって今年の秋に開催の決定したF/T12の公募プログラムにバナナ学園が
選出されているということでそちらに飛び火し、
去年のカオス*ラウンジやPortBなどにも拡大していく炎上っぷり。

「表現」であるから許される、とか「芸術」であるから許される、とは
別に思わないし、そんなところで高尚ぶる必要はない。
むしろ、そんなことしてるから未だに「芸術」や「表現」への
神聖視というか「隔たり」のようなものが消えないのでは?
被害者が出てしまったのならそれは問題。
当事者同士が解決していけばいい。
当事者同士で解決できないのなら司法に頼れば良い。
第三者があーだこーだと出てきて粗探ししても解決するどころか
めんどくさくなる一方。
祈り狩り(http://togetter.com/li/177689)と同じ。
被害者と加害者、「あなた」と「わたし」の関係性で解決するのが一番良い。

どんな表現であれ、誰かを傷つけることがある、ということ。
http://d.hatena.ne.jp/saebou/20120529/p1

でもそれは「表現」に留まる話でもない、ということ。

今回の炎上を眺めていて思ったことは
どんなに演出家が頑張ろうと、
最後に舞台に立つのは「出演者」だということ。
演出家が「出演者」を兼ねることはあるにしても、
最終的に表現するのは「出演者」であり、
「出演者」が負わなければならないものはある。
それは演出(=演出家との約束)であったりモラルであったり。
「出演者」は簡単に舞台を台無しにすることも出来る。
それは「観客」にも言えること。
「観客」が突然舞台に上がって、踊り叫んでしまえば簡単に舞台は破綻する。
舞台というのは「出演者」と「観客」の暗黙の共犯の上に成り立つもの。
だけども「出演者」と「観客」は全く違うもの。
そこを履き違えない、舞台は「観客」と創り上げるものという甘い言葉に
惑わされてはいけない。

舞台に立つことって大変なことなんだな。

2012/05/06

下層の仮装の火葬を仮想。

GWもあっとゆう間に終わりが近づいちゃいました。
昨日の国民の休日はいつの間にかみどりの日になっていたのですね。
そして今日はこどもの日。
全原発が停止したり、月が大きく見えたり。

今日は朝からWS行って、シアタートラムで「カフカの猿」を観て、
帰宅。
帰宅したら「欽ちゃんの仮装大賞」がやっておりました。
「カフカの猿」のアフタートークでチョロっと欽ちゃんの話が出たので
なんとなーく、見ている。
…最近の仮装大賞て最早仮装じゃないねw
いや、すごいんですよ、セットの凝り方とか。
このへんを参照していただけると↓

http://bit.ly/KCsIwj
http://www.ntv.co.jp/kasoh/winner/index.html

もちろんアイデアもすごいのだけど
舞台に関わっている身としてはウカウカしていられないというか、
なんとも負けていられないというか…
侮るなかれ、仮装大賞。精進ですね。

いや、そんだけですよ、今日は。



あと一応お知らせ。
GWに参加しています東京国際ダンスワークショップ「ReAction」の
クリエイションWSのショーイングに出演します。

【ReActionショーイング】

◆クリエーションWSショーイング
●シュロミ・トゥイザーWS作品
●じゅんじゅんWS作品

●シュロミ・トゥイザーによるソロダンス
(自身の作品からの抜粋5分程度)

日時 2010年5月6日(日)
19:00開演 (開場18:45) /*ポストパフォーマンストーク有り

料金 1,000円
会場:森下スタジオAスタジオ  

http://www.saison.or.jp/studio/access.html

助成:セゾン文化財団
主催:Dance Theatre LUDENS



客席数も少なめなので大っぴらに宣伝していませんでしたが
シュロミ・トゥイザーのWS作品に出演します。
よくよく考えたらおよそ2年ぶりに人前で裸足で踊ります。
吃驚。
小さなショーイングとか含めてもここ2年間靴で踊っているという…
なかなか稀な気がする。
ベテランの方も多く、色々刺激を頂いております。

とりあえず今年度1発目の人前なので
肩肘張らない程度に頑張ります。






2012/05/01

蟻でwelch's

世間はGWまっただ中ですね。
ゴールデンウィーク、GoldenWeek、GoldenWeak…さて、どれやら。
個人的にはいつもの日々ととくに変わりません、年中GWみたいなものですから。
むしろGW中はWS通いしているのでいつもより忙しい、のか?

そんなGW初日、WSに向かう朝の電車待ち、
地元の駅で高校時代の同級生に会う、高校卒業以来。
会計士は繁忙期で、GWもお仕事だそうです。
ご苦労様です。

電車の中で話していて思ったのは
エンターテイメントとか芸術ってそうゆう休日も休まず働いている人の
息抜きのためにあったりするもんだったりする、ということ。
数字とにらめっこしていたりすると、
そんな息抜きをしたくなったりするそうだ。
正直不安定な職業で、なんだか肩身の狭い業界ですが
そう考えると悪くないな、と思った。

芸術は人間の営み、とかいうこともあるけどイマイチよくわからない。
でも社会全体の持つ「流れ」のようなものに与さない生き方を提示すること、
それがひょっとしたら出来ることなのかもしれないと思った。
「流れ」から外れることを許容すること。
それが社会の生きづらさからの抜け道や息抜きになったりするのかも。
外れるんなら、全力で外れろってことなのだろうけど。

2年ほど前に観た?「パブリック・ドメイン」という作品の
パンフレットに載っていたアリの実験の話を思い出す。
アリの集団から数メートル離れたところに食べ物を置いておく。
そうするとアリは食べ物と巣の間にルートを作り、巣へ食べ物を運ぶ。
しかしほかに食べ物を探してでたらめにウロウロするアリもいるそうだ。
このウロウロするアリは実際役に立っていないわけだけれども
このウロウロするアリがいることで何か新たな発見が生まれるかもしれない。
そんな話。

このアリであれたら良いのかもしれない。



2012/04/23

All we need is…

寒くなったり、暖かくなったり。
三寒四温っていうんでしたっけ?そんな日々ですね。

舞台を観に行ったり、テレビを見ていたりしていて
最近「ニーズ(=need)」ということを良く考える。
なにかを世に作り出す以上は何かの「ニーズ」に応えなくてはいけない、ということ。
人気のあるものやお客さんがつくものは「ニーズ」がある、ということ。
所謂エンターテイメントというものは「ニーズ」に応えているのだと、思う。
そして「ニーズ」は人それぞれ違う。
だから色々な作品があっていいのだと思う。

色々ごちゃごちゃ考えた結果、どんなものであれ人に観せる以上は
「魅せる」ものであり、「心を動かす」ものでなければいけないんだな、と
思うのでありました。
エンターテイメントだ、アートだ、と分類されちゃっていることは多々あるけども
目指すところは「charm」ということにしておくとシンプルで納得がいく。
楽しい作品だろうと、なんか暗い作品だろうと、目指すところはそこな気がした。

その作品を作るのに時間をかけているわけだし、
その作品を観る人も時間をかけて観ているわけだ。
時間をかける、ということは命を捧げていること、とも言える。
そう考えると、良い時間を提供したい。
笑わせるとか、感動させるとか、考えさせるとかを狙うのは難しい。
けれどもなんか良いもの観た、と思ってもらえる「charm」の力を持った
なんか引っかかる作品が作れたら良いですね。
いや、それが一番難しいのかもしれないですけどw

多様な、人それぞれの「ニーズ」に応えるのは正直難しい。
が、なんか引っかかりを持っていたり、「charm」の作品を目指す。
そんなことを思ったので、なんとなく書いておきます。

2012/04/05

動く身体が、動かす身体。

新しい年度になりましら。

事後報告になりますが、昨日「Legend Tokyo」という
ダンス・エンターテイメントのコンペティションの予選会に
梨本威温さん振付のEMPTY INC作品で参加させていただきました。
梨本さんとは去年の夏のROCK IN JAPAN FES.2011のパフォーマンスで
ご一緒して以来、なんやかんやの付き合いで今回お誘い頂きました。

ざっくりと内容を説明すると
ひたすら微速等速で歩き続ける男が、まわりでバリバリ踊っているダンサーに
巻き込まれるように物語というか、関係性が発生していく、という作品で
その「男」の役でした。
いわゆる一般的なストリートダンスとはひと味違った風味を持った作品で
個人的には面白かったのですが
結果を言いますと、残念ながら賞は逃してしまいました。
まだまだ精進が必要、と思いながらも
審査員が言うところの「もっとダンスがみたかった」という言葉が印象的。
「ダンス」ってやはり人によって捉え方は違うのだな、と感じるとともに
若い世代の多い業界なのだからもっと自由であってほしい、とも願う。
自由であることは当然大変なのではあるけれども。
なんとなく、ストリートダンス界の閉塞感を見たように感じました。
ある文脈を守り続けることは大事なことである一方、
もっと外へ開けていて欲しいな、とも思う。
コンテスト主義的になると賞を取ることが重要で
外に開いていこうとする動きに寛容でなくなる感じ。
…いかん、愚痴っぽくなってきてしまったw
要は文脈を守り続けながらも、新しいことに対しても寛容であって欲しいな、
と思ったのです。
もちろん新しいことが全て良いわけではなく、
そこには面白さや質が問われてくる。
精進です。


打ち上げで蒲田のお店を占拠したり
初CLUBでガツガツ踊ったり、騒いだり、マッタリしたり。
フロアで踊っていると、見ている人もなんとなく踊りだす。
動く身体が、身体を動かす。
そうゆう原始的なやりとり、面白かった。
それが「ダンス」で良いんじゃないかな?
アートだとかエンターテイメントだとかコンテストだとか小難しいことは
思い切って抜きにして。


今年は日本人のローザンヌ優勝、「pina」公開、ダンス必修化、
色々と「ダンス」ということが注目されるような気がする。
色々考えさせられることもあるだろうけど、
単純に身体を動かす楽しさとかを大切にしていきたいものです。


…なんだかダンサーっぽい日記ではないかッ!

2012/03/11

忘れる、ということを忘れない。

1年、経った。
1年間、1年前のことを忘れる日はなかった、ということはなかった。
忘れる、悉く。
忘れて、酒を飲んで、馬鹿話したりした。

忘れてしまうので、記述する。
記述する、頭の中に。
記述される、頭の中に。
刻み付けられる。
忘れるけれど、思い出す。

なにを?
2011年3月11日。

525,600分、地震、金沢、疎外感、http://bit.ly/impRO、舞台、買い占め、
放射能、自粛、http://bit.ly/zz4ocS、公共広告機構、ぽぽぽぽーん、
レベル7、無力感、SONAR、http://bit.ly/il1UDJ、フクシマ、
液状化、「絆」、365日、計画停電、http://bit.ly/gu5rjI、九州新幹線開通、
HAARP、http://nyti.ms/fVfEX9、キングさよなライオン、
義援金、被曝、http://bit.ly/g4fkec、避難、瓦礫の山、M9.0、
http://mblg.tv/enokiiii/entry/1/12ヶ月、消えた東京タワー、
Pray for JAPAN、そんなこと、http://bit.ly/n6YOmp、賠償、
溺泥、1000年に1度、直ちに健康被害はありません、http://bit.ly/gMgAtK
東京電力福島第一原子力発電所、自己決断、頑張ろう日本、メルトダウン、
津波、http://bit.ly/fy2ieF、非日常に引きずられすぎてはいけない、8,760時間、
「家」、ずっと嘘だったんだぜ、http://bit.ly/ww9y8o、東北地方太平洋沖地震、
たのしいなかま、14時46分18秒、被災者が日常に戻ってくるための準備、
カンタベリー地震、http://bit.ly/yZ97uR、池袋ドン・キホーテ、ヤシマ作戦、
レディー・ガガ、http://bit.ly/bGqQo7、不謹慎、てんでんこ、
東日本大震災、31,536,000秒


テレビをつければどのチャンネルからも聞こえてくる。
「震災から1年、私たちはこの日を忘れない」
こだまでしょうか?
いいえ、誰でも。

忘れたくても忘れられない、でもきっと忘れる。
忘れて、馬鹿騒ぎもする。

今日は3.11だけど、明日は3.11じゃない。
当たり前のこと。でも過去のことは、今にもつながっている。
3.11に3.11を思い出す、3.11が特別な日になっていく。
特別な日を大切にしたい、でも大切なのは特別な日じゃない、日常。
「その日」は今にも繫がっていて、「その日」からも
日々は積み重ねられている。
なんでもない日、万歳。

「いま」「ここ」で生きている。
1年前に知ったことはそのこと。
「いま」「ここ」という空間を占有しているのは自分だけ。
自分の身体だけ。

だから「いま」「ここ」で生きているならやれることをやるしかない。
自分の意志で。


先日Co.山田うん「季節のない街」を観てきた。
とても、とても良い作品だった。
3.11以降舞台に立つことに対する躊躇に対する1つの「答え」を
提示してくれるような、身を削り、「痛み」を受容した作品。

生きていれば痛いし、苦しいし、汗もかく。
そういったことを全て受容して、それでも生きる。
「いま」「ここ」で。


今日は知り合いが2人誕生日だった。
お誕生日おめでとうございます。
今日は自分と関わりのあった最後の後輩たちの卒業式。
ご卒業おめでとうございます。
社会に出て、お互い刺激し合えるような生き様を晒したいですね。


話がとびとび。


明日も変わらず、今日と同じように、昨日と同じように過ごします。
きっと「その日」から変わってしまったけれども、
その変化を受容し、日々を積み重ねるのです。




東日本大震災から今日で1年。

死者数     15,854人
行方不明者数     3,155人

(3
月10日現在)

2012/03/07

引き受け、考える態度。

3月、花粉が飛び始め。目が痒い。
目に飛んできたって子孫は残せないぜ?花粉の皆さん。
しかしまぁ3月か…早い、早すぎる。
年を経れば経るほどに時の流れは早く感じるという説はありますが、
さすがに早すぎやしませんかね?

早い早いとぼやいていると、本当に早いので、今日は1日確定申告関係の
書類を黙々と。パソコン、レシートの山とにらめっこ。
web申告もできるらしいですけど、何故か窓口で申請したいという無駄な拘り。


で、夜は兄の所属している劇団GAIA_crewの公演
「グッドモーニング・マイ・ヴィーナス」を観てきましたよ。
感想としては場面場面のトランジションが一手多く、
なかなかテンポに乗っていくのが難しく感じるも、公演を重ねるたびに
進歩している感じがしました。
物語も分かりやすく、個々のキャラクターも立っていて良かった。
ただ基本的なトレーニングを積んでいる役者とそうでない役者の差が
如実だったというのと、
アクション的な部分以外の仕草、動き、立ち方などの
身体の在り方は気になりました。
舞台は「台詞」だけじゃなくて、「身体」も伴っているから難しい、
そんなことを思わされました。
案外ラジオドラマ的なのかもしれない、とも。

今回気がついたのは、空間演出がクラブ的というか、
コンサートとかライブ空間的な演出に近いのだな、ということ。
スタッフの得意不得意もあるのだろうけど、
もっと演劇的に作ることが出来るような気がした。
もしくはそこを売りにすればいいのかもしれない。
というよりも、やっていることが無意識的じゃなくて
自覚的であればいいのかなー、って思いました。
自覚的であればいいと言っても、「俺、ほめられて伸びるタイプなんで」とか
っていうのは自覚的であってもそこに安住しちゃっている感じw
自覚的であるのであればそこは言い訳にしちゃいけないんだな。

…なんだかものすごく上から目線になってしまった。
でも全体としてバランスのいい、面白い舞台でした。
身内がお世話になっていることですし、
おそらく関係者の皆様もご覧になることでしょうが
そういったことも分かったうえで書かせていただきますw
好き放題書いてやるさッ!


そう、「自覚的」に書かせていただきます。


本日とあるブログがtwitterのタイムラインに流れてきて
面白かったのでご紹介↓

http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-54.html

長いブログなのですが、読んでほしい。
とくに後半の反原発運動〜加害の自覚の話は色々考えさせられました。

無意識的に加害者になっていることはよくある。
そのことに自覚的でありたい。
無意識になってしまう、ということは
ある意味、加害者になることは避けられないということなのかもしれない。
でも色んな人の意見や情報を見聞きして、
最終的には自分で判断すればいいのだと思います。
それをせずに判断することは楽だし、簡単なのですが
加害者なのかもしれないという意識が無いって怖いな、と思ったのです。
だからといって「俺、加害者か〜」と鬱になるくらい悩むのもアレですがw

悩みに悩んだあげくの答えはきっと強度があるだろうし、
でもその強度も別の方向からは簡単に崩れることもあるだろう。

「球」がすごいのは正∞面体だということ。
無限の、極小の平面が並び、「球」になっていること。
そうゆう「球」=多面的な視点をもっている、になれたらいいなぁ。

…ハイ、自分でもよくわからなくなってきましたが
多分これから個人が決断を下す、
ということが大事になってくる気がしている、
ということなんです。
そんなん前からそうなんでしょうけど。

社会学者の宮台さんがいうところの「引き受け、考える態度」という
自覚的になるということを
朝に思ったことと、夜に思ったこと=舞台の感想とを
なんとなく繋げてまとめてみた。
深夜はだんだん思考鈍ってくるからまとまっているのかどうか
よくわからなくなる。
読み返してもわからないので、もう寝ますよ。

書き逃げ、書き逃げ、文責は持ちます。
後日気に入らなかったら書き直すかもね〜

2012/02/05

良ーく考えよー、お金は大事だよー。

アフラック。
こんな書き出しすると保険会社の回し者だと思われそうだ。

気がついたら2月ですね。
早いものです。2012年も12分の1が過ぎてしまいました。
こんなこと言っているうちにまた春が来て、
ジメジメして夏が来て、切ない秋が来て、寒い冬が来る。
ボーッとしていると何もせずに過ぎていってしまいます。
何もせずに人生流れていってくれるのなら楽と言えば楽ですが、
何もしない、というのもまた難しいもので。

さて、舞台の感想でも。

・「un ReVe -コンナ夢ヲ見タ-」 @座・高円寺
知り合いの小山まさしさんが出ていた舞台。
振付でも参加したとのことで。
出てくるダンサーが男女問わずみんなバリバリ動けていて爽快。
身体もキレイだし、テクニックも優れていてウヒャーってなったけども
動きすぎてしまうのも情報過多というか、
ちょっと食傷気味になってしまうのだな、とも。
でもそのへんは好みの問題だったりもしそう。
難しいものだー
個人的には緩急がある身体が好きなんだなぁ、と。


・「揮発性身体論」 @シアタートラム
鈴木ユキオさん、金魚の舞台。
鈴木さんの作品は初見。
激しさと静けさが同居しているような身体。
タイトルにもある「揮発」という言葉、常温で蒸発していく感じ。
多少長いかなー、と思いつつも
舞台装置全く無し、ダンサーの身体のみで90分保たせていたのは
身体の強さがそこにあったからなんだろうなー、と思う。

最近ご縁あって役者さんの舞台に立つ身体を近くで見る機会が
あるのだけれども、
「舞台に立つ身体」というものはあると思う。
それが身体の強さ、かと。


・ダンスインパクト吉祥寺vol.3
vol.2は見逃し、というか「揮発性〜」と被ってしまっていたので。
やはり面白い企画だな〜、と思う。
あまりやる機会のない、それなりの大きさの劇場で
若手というか、次世代の振付家が作品を作るというのは。
コンテストやアワードとは違った良さがある気がする。
まずその場に呼ばれるような活動をしていなくてはいけないわけだけども。

入手さんはまことクラブも観たことないので生で見るのは初。
PVとかでは観たことあるけども、舞台上だと予想以上に華奢。
かと思いきや、動き出したらものすごく硬質というか、ハードな動きで
そのギャップがすげーって感じに。
身体の持っている質と動きの持っている質のギャップが面白かった。

かえるPは…うん、って感じでした。
一瞬ものすごいスピードでカクッてなってしまって
ものすごい恥ずかしかった、客席なのに。
デュオである必要があったのか、というのと
走るっていうのも難しいもんだなーと思った。
去年めちゃくちゃ舞台上を走り回っていたわけだけども、
自分はどう見えてたのだろうか…

サラダラは面白かった。
下手したらコントとも言われかねないギリギリな感じが良かった。
というよりも、そのギリギリ感が余計にダンスを感じさせた。

ところどころの緻密さ、例えば足の運びを揃えるとか、
笑いを誘うネタ?の間のちょっとした動きを揃えるといったところが
身体を浮き上がらせてくる感じで、ダンスな気がした。
身体が浮き上がってくるというか、身体が見えてくる、ということが
ダンスだったりするのかもなーと思ったりする。
だから左官職人とか大工の動きがダンスだと思えたりするのかもしれない。

雑に見えて、実はすごい緻密な感じが良かったです。
そして新宅一平さんがすごくいい身体というか、良い存在感になっていて
個人的に感動しました。
以前からすごい個性的な人なのですが、それだけじゃなくなった感じ。
「un ReVe」に出ていた小山さんもそうですが、
過去に共演した人が良くなっていると素直に嬉しい。
と同時に負けていられないなー、と良い刺激も頂きます。


採算度外視という公演だけに大変かと思いますが、
是非とも続けてほしい企画だなーと思いました。


なんだかんだ言ってもお金というのは大事なものです。
創作の現場だとないがしろ、なぁなぁになりがちな部分ではありますが。
「自分の好きなことやっているんだからお金はいいのよ!」みたいな論も
もちろんわかりますし、そうゆう気概でいたいというか、
そんな気持ちでも構わない作品を作れればいいと思うのですが
なかなか難しいものです。
もちろん「お金」は全てじゃないけども、
創作の現場では「お金」がプロ意識を育てたり、
意識を変えたりすることも事実あると思います。

最近知り合いの制作がひと騒動起こし、失踪しました。
彼女を全面的に否定も肯定も出来ませんが、
負荷が掛かっていたのは事実でしょう。
その負荷が「お金」の多寡で軽減するのかどうかはわかりませんし、
それだけが原因ではないと思います。
なにをもって「プロ」なのか、ということにもつながるだろうし
それ以前の人間関係の問題なのかもしれません。
どこに負荷が、無理が生じているのかということを理解し、
このことへのケアをしていくことが大事なんだろうなぁ、と
他人事のように、偉そうにもそう感じました。
身体にしても、組織にしても、人間関係にしても。
まぁ実際自分がそれ出来てんのか、って言われると自信ありませんが(笑)

「お金」とかそれにまつわる人間のこととか考えこんでしまうから
作品作りになかなか踏み出せない、という面も自分の中にはあるんだろうな。
でもそうゆうものを有無も言わせないような作品作ればいいんだよ!
ってことだとは思います。

色々考えながらも、今年はちょっと挑んでいきたいと思っています。

2012/01/12

とりあえず、走れ。時は一方向にしか流れない。

今日財団法人地域創造の公共ホール現代ダンス活性化事業、
通称「ダン活」の次年度プレゼンテーションにDance Theatre LUDENSの
アシスタント、ダンサーとして参加してきました。

去年の7月から稽古が始まり、9月の横浜象の鼻テラスでの初演、
11月大阪阪南市での「ダン活」、そして今日のプレゼンでの抜粋試演、
走り続けてきた「1 hour before Sunset」もこれで一段落。
1つの作品で、半年間に何度も上演・発表の機会を与えていただけたことは
とてもよい経験になり、色々考えさせられました。
共演者、関係者の皆様には多謝、でございます。

本年度の大きな動きもこれで一段落。
来年度っていうかほぼ今年いっぱい手帳は空白だらけ。
頭の中にはやりたいことが沢山あるので、
それを形にしていけたらと思います。
お世話になることもあるかと思いますが、
そのときは皆様よろしくお願い致します。

「ダン活」の交流会で公共ホールの方ともお話しさせていただく機会があり、
様々な熱意、活気に刺激を受けて頑張らにゃならんなー、と。
月並みな言葉だけど、頑張ります。
とりあえず今、ここで。

で、ちょっとWS発表会に参加するのでお知らせ。
お暇な方、興味ある方いらっしゃいましたらぜひご来場ください。
無料ですし。



あうるすぽっと+都立大塚ろう学校・NPO法人大塚クラブ 協力事業
小野寺修二による、マイムワークショップ

「からだの詩(うた)を楽しむ」発表会


あうるすぽっとでは、アートを通じた教育プログラムの普及を
活動の重要な柱と掲げ、NPO法人「大塚クラブ」と協力して
ろう学校に通う子どもたちが
パントマイムアーティスト小野寺修二氏とともに
取り組むワークショップを行っています。
従来のパントマイムの型や技術にこだわらず、

素直な動きや創造力あふれる表現を生かした作品作りに
挑戦している本プログラム。
今回はボディ・パーカッションを取り入れた、

創造的な音楽づくりを実践している飯塚暁子氏が加わり、
パントマイムとボディ・パーカッションのコラボレーションによる

新しい表現にも挑戦します。
共にワークショップを重ね、最終日、1月15日には劇場の舞台で発表会を開催。
発表会はどなたでもご覧いただけます。
ぜひご来場ください。

演出:小野寺修二、藤田桃子
ボディ・パーカッション指導:飯塚暁子
出演:ワークショップ参加者

料金:入場無料・当日先着順にて受付

お問い合わせ:
あうるすぽっと「からだの詩を楽しむ」係
〒170-0013 
東京都豊島区東池袋4-5-2 ライズアリーナビル2・3F TEL:03‐5391-0751   
FAX:03-5391-0752

http://www.owlspot.jp/performance/120115.html

2012/01/10

壁。

安部公房の単行本では「壁」が一番好きです。
でも日記の内容とは全然関係ないんだな。

今日は「ダンスインパクト吉祥寺Vol.1」を観に行ってきたのでその感想を。
久しぶりに観劇の感想書く気がする。
mixi時代はよくやっていたんですが。

チラシによると…
完全採算度外視!超格安で観る、コンテンポラリー・ダンスの祭典
次世代を担うのは彼らだ!
という企画。
あと2月4・5日にもVol.2/3やります。
なんとチケット500円、採算度外視に偽りなさそう。

客席は子どもから大人まで年齢層幅広く
ダンスの公演にしては珍しい感じが。
3グループ出ているからそれぞれ目当てで観に来た人が
ごちゃ混ぜになっている感じが面白かったです。
前に観たCAVAの作品の時も観客層が幅広かったのですが
客席の年齢幅が広いとなんとなく楽しい。

参加アーティストはキリコラージュ・クリタマキ・MOKK

全体としての感想としては吉祥寺シアターという場所でやるというのは
やはり大変なんだろうなぁ、ということ。
小さいハコではなく、大きいハコということは
照明や音響、広い舞台などの空間演出がより大事になってくるということ。
そしてなかなかそうゆう機会(大きなハコでやる)って巡ってこないものなので
企画としても面白い試みなんだろなー、と思う。
なかなか吉祥寺シアターサイズの稽古場探すのも大変だろうから
リハーサルから想像力が求められる。
でも武蔵野文化事業団の主催だから稽古場とかは提供されてたのかも。
詳しいことはわかりませんが。

脱線しますが、稽古場押さえるのってやはり大変だよなーと思う。
本番の場所が想定できるくらいの広さ・条件があって、
ということを考えると。
ジプシー稽古じゃなかなか…ね。
質の良い作品には質の良い稽古、質の良い稽古には質の良い稽古場。
ジプシー稽古で使っているような施設の使用料金で使える稽古場が沢山あれば
良い作品も増えるような気がします。
でも低料金で良い稽古場って多分公共の力使わないと無理なんでしょうね。
そうゆう稽古場増えれば良いのに。
稽古場は腐るほどあっても構わない、って何かに書いてあった。
脱線して、さらに脱線した感じ。
要は安くてどんなグループでも一定期間押さえられるような良い稽古場が
沢山あったら良いのにね、ってことです。

で、話は戻りまして…
初見だったのですがMOKKが空間使い上手かったなー、と。
他の2組に比べて人数が多く出る作品だったということもあるかと思いますが
リフトを多用したり、ギャラリーも利用して垂直方向にも広い。
もともと教会で上演した、「祈り」がテーマの作品のようなので
垂直方向に強いのかなぁとも思いつつ、
久しぶりに群舞も観れて面白かったです。
あと照明や音響(声含む)も空間に負けてない感じがしました。
駐車場やビル、コンテナボックスなど非劇場でも踊っているグループなので
空間への意識が強いんだろうなぁ、と。

ある程度のレベルまでいくと踊りだけじゃなくて
ハコというか、上演場所の空間演出能力が問われてくるのだなと改めて実感。
でもなかなかそうゆうところまで考えが及ばないというか、
作舞に捕われて気にしていられないのかもしれないですね。
空間が上手く使えるかというのがダンスに取っての1つの「壁」ってことか。
…お、まさかの「壁」出てきたよw


グダグダになりそうな気配がしてきたのでこのへんで。
よくよく考えたらあまり寝てないのに今日はもう20時間も起きている。