2011/09/23

弱い26。

本日無事に26歳の誕生日を迎えることができました。

「おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」

26歳と聞くと、もうすっかり立派な大人な気がするのですが
全く大人になれているような気がしません。
まだまだヒョロッヒョロの青二才です。

そもそも「大人」とはなんなのか。
20歳以上というある線を超えたらなる、というものでもないだろうし
社会人として働いているから、というわけでもない気がする。

ひとつ思っているのは「責任」を自覚しているか、ということなのかな、と。
こないだの「1 hour before sunset」で舞台に立つということや
色々考えさせられる中でそんなことを思いました。
「責任」を自覚し、それを果たそうとしているか。
それが「大人」としてひとつ大事なことだと思うし、
そうゆうことが出来ている人を「大人」と感じるように思う。

明日から映像スタッフとして参加している公演が幕を開けます。
「責任」というひとつのキーワードを胸に
丁寧に頑張ろうと思います。

責任を自覚した「大人」、純粋なエネルギーとしての「少年」。
その2つを目標としているのが「大人少年」ということ、なのかもしれない。
酒の入った頭でキーボードを叩いているので
イマイチよくわからないが、その「大人少年」ということを目標に
26歳からまた少しずつ動き出そうと思います。
口先ばかりじゃカッコ悪いので、ここに書き記し、頑張ろう。

まずは明日からの舞台を、頑張ろう。

2011/09/22

台風が蝉を吹き飛ばしていったような。

静かな夜。
もう秋ですかね。
東京では近年稀にみる激しい台風でした。
沖縄の台風を思い出しました。

Dance Theatre LUDENS 公演「1 hour before sunset」無事終了しました。
観に来る人みんなに「痩せた。」といわれるような、ハードな舞台でしたが
課題としてきたことに挑戦できたり、また新たな課題が見つかったりと
参加できて本当によかったです。
共演者の皆様、スタッフの皆様、ご来場頂いた皆様に多謝。





で、公演の余韻に浸る間もなく昨日から別の舞台にスタッフとして合流。
明日から早くも小屋入りです。
うーむ、なかなかにハードw

2011/09/12

6ヶ月、10年。

東日本大震災から今日で6ヶ月。

死亡     15,781人
行方不明     4,086人

(警視庁まとめ 9月10日現在)




6ヶ月前、金沢で公演中でした。
公演初日の、プレス向け公演が終了して一息ついていたら、長い周期の揺れ。
あー、揺れてるなー、程度でした。


家族からメールがあったりなんだりで、
よくよく情報を集めてみたら大震災。
東京の人間でありながら、偶然金沢にいて、大きな被害にも遭わず。
東京の人間でありながら当事者感覚のないまま。
東京電力福島第一原子力発電所が大変なことになっていても、
どこか当事者ではない感覚。


良くないことだろうとは思っていても、どうしたらいいのやら。
変わることなく日常は流れていくし、
日常が変わっていないかのごとく装われているようだし。
それを隠蔽というのか、忘却というのか、わかりませんが。


日々福島第一原発では作業が進んでいるがなかなか情報は耳に入ってこない。
http://www.47news.jp/47topics/e/201888.php
時間は確かに進んでいる、少なくとも6ヶ月は経過している。


今「思想地図β2」という本を読んでいる。
なかなか読む時間がなく、ゆっくり読んでいるが
巻頭言に「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」とある。
というよりも「ばらばらである」ことがわかってしまった、と。
確かにそうなのかもしれない。
震災当初感じた、「いま」「ここ」のことしかわからない、
という感覚に似たもの。
「時間」や「距離」の差は絶対的にある。
そこを飛び越えられるのが「想像力」なのかもしれない。
だから「想像力」が大事、っていうことか。


明確にわかることは「いま」「ここ」のことだけ。
だからその「いま」「ここ」を大事にするべきということか。


1ヶ月ごとに区切りのように記していますが、とくに日常は変わらない。
だけども自戒の念も込めて、何かを考えることで日常にちょっとした歪みを
与え続けていくことをとりあえず続けます。


正直まとめられている気がしないのですが。
まとめるつもりで書いてもいないのでしょうがない。






そして今日は10年目。
正義とか悪とかよくわからなくなり始めた、2001年9月11日から10年目。
当時は高校1年生か…
ウサマ=ビンラディンは殺害されたし、10年経ったけど
終わった、ていうことではないのだと思う。






10年とか、もしくは1日とか、もしくは1時間とか。
「線」を引くことはできるし、「線」があると便利。
「線」がなければ延々と続いている連続性があるし、地球は回っている。
「線」も別にどこに引いたっていいのかもしれない。
だけども「線」がないとどこか不安なのは
永遠に続くような感覚が、終わりのないような感覚が恐ろしいのか。
唯一明確な「線」は「死」だったり?


なんだか今やっている作品と無理矢理つながっている感覚。
疲れた身体に深夜の脳味噌だから最早よくわかりませんw




とまぁ2011年9月11日はそんな感じでした。
と、無理矢理まとめてみる。