2014/03/11

楽しい仲間がぽぽぽぽーん。

東日本大震災から36ヶ月、3年目の3月11日です。
ていう書き方をすると東日本大震災という1つの事柄が終わっていて、
それからもう3年も経ったんですよ、みたいな感じもします。

でも実際にはまだ避難生活を続ける方々は26万7419人もいるし、
福島第一原発だって全く収束していない。
だから3年です、とか区切りの良い話ではないのかもしれない。
言うなれば東日本大震災発生から、
もしくは東日本大震災が始まってから3年、なのかもしれないですね。

終わってもいないんだから忘れるとか、忘れてはいけない、
ていうことでもないのかもしれない。
正直、日々のうのうと楽しく暮らしています。
でも忘れていない、覚えている、忘れてしまっていても思い出せばいい。
忘れるな、という強迫観念に囚われず、前を向いて生きていけば良い。

だって後ろを向きながら前に歩く、後ろ歩きって大変ですよ?
前から来るものを見逃しちゃうし、キャッチしようとしても
通り過ぎてから気がつく。


2011年の3月11日は金沢21世紀美術館で
GRINDER-MAN「SONAR」の公演初日でした。
東北で、自分の生まれ育った東京で何が起きていようと
そこは金沢。Show Must Go On。

2014年の3月11日は東京芸術劇場ロワー広場で
GRINDER-MANのパフォーマンス「よろこびの歌」の本番です。
金沢で一緒に舞台に立った方と
また3年後も同じ舞台に立ちます。
でも3年前に同じ舞台に立った方とは
おそらく再び同じ舞台に立つことは無さそうです。
その時が今に繫がっているけど、その時とは違う、ということ。
感傷的な気持ちにもなるけど、過去は過去、いまはいま。

過去を背負って進むということ。
背負うことに疲れたら捨てる、ということ。
自分が生きているのは「いま」「ここ」ですから。
過ぎ去ってしまった過去には戻れないし、未来は確約のないもの。
揺るぎのない「いま」「ここ」を大事にしないとね。


色々な思いが巡る今日ではありますが、
パフォーマーとして、人としてしっかり人前に立ちます。
最近思うパフォーマーは何かと何か、例えばそれは音楽と身体だったり、
空間と身体だったり、虚構と現実だったり、人と人だったり…
を繋ぐことが出来る存在なのではないか、ということを体現できるように。
3年前とは変わったということをお見せできねば、
先輩方に笑われてしまいます。

そして1年前の3月11日は右膝手術の入院初日でした。
つまり右膝外側半月板の手術からちょうど今日で365日目、です。
絶好調かと聞かれれば首を縦に振るのは難しいですが、
以前と変わらずに動ける、ということは確かです。
今日のパフォーマンスでそれを体現できるように。
怪我する前と変わっていないということをお見せできねば、
色々な心配をかけてしまいます。


と書いているとなんだか3月11日は
とても個人的にマイルストーンな日なのだな、実は笑
でもきっと2011年3月11日を契機に変わったと思います。
変わったのか、変わってしまったのかは定かではありませんが。


人間は一人一人バラバラで、考え方も生き方も違う。
ひとつのモノになることは到底無理。
でもひとつに繫がることは出来る。
手を繋ぐには手と手をお互いに差し出さないといけない。
その差し出し合う手が美しい、のだと思います。

そんな気持ちで今日のパフォーマンス頑張ります。


GRINDER-MAN パフォーマンス小作品
「よろこびの歌」
「Moving Distance:2579枚の写真と11通の手紙」関連プログラム

日時:2014年3月11日(火)20:45〜
会場:東京芸術劇場 ロワー広場
入場:無料
協力:プーマ ジャパン株式会社

演出:タグチヒトシ(GRINDER-MAN)
振付・出演:伊豆牧子(GRINDER-MAN)
出演:天野悠二、榎本咲百合、香取直登、彼ノ矢恵美、神林佳美、

呉宮百合香、小山柚香、菅原理子、鈴木麗亜、ストウミキコ、
露木智美、東山佳永、平吹佳奈、深見友理、松本大樹、三橋俊平、
村田圭介、望月美里、龍福さわこ、渡邊愛祐美

http://grinder-man.com/info/20140202/yorokobinouta_2014

パフォーマンス当日の2014年3月11日は、
20:00より
「Moving Distance:2579枚の写真と11通の手紙」関連プログラムとして
ライブおよびパフォーマンスがおこなわれます。

20:00〜 world’s end girlfriend「Song to the Siren」
会場:東京芸術劇場 アトリエウエスト

20:45〜 GRINDER-MAN「よろこびの歌」
会場:東京芸術劇場 ロワー広場

Moving Distance
http://www.movingdistance.net





東日本大震災発生から36ヶ月

死者数    15,884名
行方不明者数 2,633名

(警視庁まとめ 2014年3月10日現在)

2014/03/04

最近思ったことをダラーッと書き綴る。

ひな祭でしたね。
ウチは男兄弟だし、猫もオスなのでとくに関係ありません。

1月下旬から全国を回っていたWORLD ORDERのツアーも無事終了し、
その合間を縫って1月下旬は新作ソロ、2月中下旬はソロ再演の稽古、
それぞれの発表も無事終了し、久々にちょっと一息つけそうな感じ。


WORLD ORDERのツアーは色々考えさせられたり、勉強になりました。
ハイレベルなパフォーマー、クリエイティブなスタッフの皆様と
関わらせて頂き、ジャンルとか関係なくしっかりといいモノを創る、と
いうことが大事なのだなぁと思いました。
表現というものは正解のない、完成しないものだ!
ということに甘えるのではなくある種の「応え」を出す、
完成度を満たすということは大事。このコトは肝に銘じておきます。

未熟であっても、手探りであっても納得のいくものを創る、てこと。


で、一昨日後輩の主宰するイベント「.zip by Comp 2」も無事終了。
自分は2012年に作ったソロ「BPM」を再振付けして、参加しました。
色んな作品のごった煮パフォーマンスで、色々考えさせられました。


そんな全く異なる2つの経験な訳ですが、
「観る」視点を想定するか否か、て結構大事だよな、てことを再実感。
それが良い悪いということではなく。

なんとなく思ったのは美術作品は観客がいなくても完成する、てこと。
「観る」視点がなくても成立する。
絵画は飾っておくだけで、街中の彫像はただそこにあるだけで、成り立つ。
だから美術側から発進している「パフォーマンス」という考え方は
身体表現を伴っていながらも「観る」視点が想定されていなくて、
そのへんが舞台表現とは違ったりするのかもなー、もやっと思ったり。

それと「観る」視点を想定するのか否かが
「アート」と「エンターテイメント」を分ける考え方なのかも、と思ったり。
便宜上、自分の純粋な表現を「アート」とした場合、
そこには「観る」側が面白いか、楽しいかどうかは二の次になるのだと思う。
逆に「観る」側に楽しんでもらう、面白がってもらうことを考えるのが
「エンターテイメント」なのではないかと思う。

作品として世の中に出すのであればどちらも大事なことで
この2つは明確に分けられるものじゃないんじゃないかなー、てこと。
バランスの問題、というか。
前回のブログでも触れた「自分が見たいもの」なのかどうか、
てことはそうゆう考え方からすると大事なことなんじゃないかと思う。

そんなコトを考えていたら、
意外と自分は「エンターテイメント」志向なのかもしれない、と思った。


「思った」という単語がやたらと出てくる、
小学生みたいな日記になってしまった笑
え?いつもそうだって?そうですね、小学生みたいな日記です、ハイ。