2011/12/31

変わらない、流されない。変わる、流される。

色々あった2011年も今日でお終い。
地球はいつもと変わらずに一回転するだけなのに年が変わったり、
一日が過ぎてまた朝が来て、また夜が来る。
ある線をまたぐと昨日が明日になったり、今日が昨日になったりする。
勝手に人間が決めた「時間」に関することがとても面白く感じた一年でした。
時間という区切りを作らないと人間は生きていけないのかな、とも思ったり。

震災を経て、一日一日を大切に生きようとか
しっかりしなくては、という変化は自覚的に
起こしているわけではないけれども
日々耳に入るニュースや目にする映像によって知らず知らずのうちに
意識は刷り込まれるように変わっているような感覚。

変わっていないようで、変わっている感覚。
流されていないようで、流されている感覚。

とくに大きな変化は個人的にはなかった1年。
でもきっと無意識のうちに人間は変わっていて、
そのことに鈍感にならないように生きていくしかないなぁ、
と思います。
気付かぬうちに変わっていく、変化に鈍感であるということに対して
鈍感にならないこと。

しかしまぁ来年も今出来ることを
今やっていることを全力で丁寧にやるしかないです。


本当に色々あった2011年。
ウサマ・ビンラディンもカダフィ大佐も金正日も亡くなった。
過去の延長線上としての現在と、現在の延長線上としても未来を
色々知らないうちに背負っている、背負わされているものに鈍感にならず
頑張ります。

今年一年お世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。

良いお年を。




東日本大震災から9ヶ月と20日。

死者数     15,844人
行方不明者数        3,451人

(12月29日現在 警視庁調べ)

2011/12/15

思春期に、少年から大人に変わる、らしい。

個人的には賛同しかねるんですけどね。
男の子はどのタイミングでいわゆる「大人」になるんでしょうね。
女の子は身体の成長とともに大人になっていく感じがするんですけど
男の子はいつまでも子どもな感じ。
多分「自覚」しないと「大人」になれない気がする、男の子。
そもそも「大人」がなんなのか、よくわからないわけですが。
個人的にはマンションの向かいに住んでいる小学生の女の子がいるのですが
例えば彼女から見たら自分は圧倒的に「大人」なわけで(実状は別として)
ちゃんとした「大人」をしなきゃいけないなぁ、
と個人的には思っているわけです。

話が頭から脱線しました。

10月の下旬から中学校の体育の授業で「創作ダンス」の指導アシスタントを
していまして、本日それの最終日、発表会でした。
来年度から体育の授業でダンス・武道が必修化されるらしく
そのテストケース?として。

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr110428e.htm
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr110428e/besshi1.pdf

いやー、大変でした。
なんせ相手は思春期まっただ中の中学3年生。
恥ずかしがったり、妙に幼かったりで話聞かなかったり、
諸々違った対処法を求められる生徒たち。
面倒くせぇ!っていう感じでした。
でもクリエイションが始まって、それまで全体で接していたのが
グループごとの作業になったことで個々に対処しやすくなり
最終発表会のときには見る側もやる側もいい態度で
終わりよければ全てよし、という感じでした。

正直彼らにとっていい経験になったのかどうかはわかりません。
興味をもってくれた子もいるかもしれないし、
もうやりたくないという子もいるかもしれない。
きっとすぐ忘れてしまうような子もいるだろう。
でもそもそも自分のやっている活動は今回やったような「教育」という
枠組みの中に限らず、そうゆうものなのかもしれない。
結局どのような成果があるかは受け取る側次第。
心が動かされる人もいるだろうし、離れていく人もいるだろう。
それを強いることも求めることは出来ない。

こちら側に出来ることは「与える」ということだけなのだと思う。
もちろんそこには相手とのコミュニケーションが成り立っていたり
ということはあるかと思いますが、
与えたものがどうなるか、どう捉えられるかはわからない。

でも少しでもよいものが与えられるように、心を動かせるように努めないと。
それは考え続けないといけないこと。
何かの「ひっかき傷」が作れるかどうか、ということ。

とにもかくにも、色々学ばさせていただきました。
受験勉強頑張れ、中学生。