2020/07/23

枯れ続けるケ。

緊急事態宣言が明け、およそ2ヶ月弱。
日々新規感染者は増えて緊急事態宣言下のベストを大幅に更新してますが、緩みきった自粛は戻らず。
社会は回り続けています。
個人的には自粛はもはや難しいのでしっかり検査体制整えて体調不安な人がしっかり検査受けられる状態を維持し、感染者を悪者扱いせずに社会を回していくのがいいんだろうと思っています。

実はこのブログでは一切触れてませんでしたが、7月頭に久々(およそ5年ぶり)に自主公演やってました。
創作過程なども含めたサイトがこちらです↓
https://otona-shonen.com/distance/

「新しい生活様式」とやらをとりいれながらも映画館、劇場、スタジアムなど各種動き始めていく中、「新しい生活様式」またそれに基づくガイドラインは個人的に受け入れ難い部分があります。とくに上演芸術に対して出演者にもフェイスシールド、マスクを要請(と言う名の半ば強制)をすることに対して。
なんと言うか…それがやりたいのか?と正直に思ってしまいます。
マスクやフェイスシールドはいくら感染拡大防止策とはいえ、表現上余計なノイズだと思います。そのノイズを受け入れることは易々と「表現の自粛要請」に従っているのでは、と。
普段なら「表現の自由」ということに殊更敏感な界隈が随分と大人しく「表現の自由」を侵害されることを受け入れていませんか?
演出にうまく取り入れてたね!とか気にならなかった!とか、そうゆう話でもないような気がして。その方向性になるとコロナ禍なのに頑張った、という下駄を履かせられた感が拭えない。実際先日の自分の自主公演もそういった感想が多くなりがちだったので。
創った側としてはそこを超えたい欲はありますね。


話が脱線しました。
と言うよりもここから本題。


先日Twitterにてこのような記事を見まして。

ザ・インタビュー「31字に込められたホストたちのコロナ対策」
https://www.designstoriesinc.com/special/theinterviews_maki_tezuka/

非常に良いインタビューだったので備忘録として。
という部分と記事内の下記部分が非常に心に残ったので。

繁華街の魅力って刹那的な一瞬の酩酊だとか、社会で理性的に生きている時間から逸脱した場所である価値だと思うんです。 

これは「夜の街」と変なレッテルを貼られてしまった繁華街に対しての言葉なのですが、
劇場やライブハウス、上演文化に関わる場所にも当てはまることだと思います。

つまり「非日常」を提供する場所としての価値。

あまり詳しくはないのですが、「ハレ」と「ケ」という言葉があります。

「ハレ」…儀式や祭り、年中行事などの非日常
「ケ」…日常生活

日常生活の「ケ」はルーティンワークであり、エネルギーが徐々に目減りしていきます。
エネルギーが枯渇していくことを「ケガレ(ケが枯れる)」
そのエネルギーを回復させるのが「ハレ」
というような日本的世界観だそうです。

劇場も繁華街も「ハレ」の場です。

そこへ「ケ」と化したマスクやフェイスシールドを持ち込むこと、感染拡大防止のために口うるさく注意お願いをすること。
このことが「ハレ」の魔力を失わせてしまうように思います。

誰も感染拡大したいとは思っていません。
施政者は大したこともしない、自己責任な空気を醸し出します。
しかし自己判断すればいいのだとも思います。
無責任で無能な政治家に自分の自由や生命の責任や安全なんか託したくないというのは正直なところ。ゼロリスクを煽り疑心暗鬼や不安を増長する、そんなヤツらの言うこと聞いて日常を破壊されるのはまっぴら。

最近はそう考えるようにしています。

とはいえ別に蛮行に走るわけでもなく、ただ今まで通りの生活を続けるだけなんですけどね。
もちろん人混みではマスクしますし、毎日検温してますけど、自分の中のガイドラインに従っています。
「新しい生活様式」なんて糞食らえだ。
枯れ続ける「ケ」が続く中で、「ハレ」すらもその魔力を失ってしまうわけにはいかない。
そのことをパフォーミング・アーツの端っこでもがき続けます。