2014/06/30

震災が起きて、原発事故が起きて、それでも変わらないのであれば…



















って、少佐は言うかもね。



W杯も予選敗退に終わり、
連日都議会のセクハラ問題やら集団的自衛権やらで賑わっています。

7月1日に集団的自衛権の行使容認の閣議決定がするみたいです。
明日30日はそれに異を唱えるべく首相官邸前で抗議集会があるみたいです。

http://got.angry.jp/0630/

今までの感じからだと実質的にはあまり意味ないんだろうなぁ、
と思ってしまっているのですが、やらずにはいられない気持ちもわかる。

どうしてもデモとかが一時的な盛り上がりに感じられてしまっていて、
そういった行動ももちろん大事なのだろうけど、
普段から色々考えることとか、どんなことに価値をおくのか、
てことが大事なのではないかと思っています。

正直色々考えていると八方塞がりな感じになったりします。
思考停止している方が身軽に動けるような気もします。
でも未来にとっての過去は今なので、やはり色々考えたり思うことは大事。

それでその思ったり考えたことを作品として提示したいのかも、て思います。
それは1つの作品としてなのかもしれないし、
全ての作品に渡ってなのかもしれないし。

押し付けるとか、説き伏せるってことでもなく
「こんな考え方なんスけど、どうっすかね?」くらいの「提示」する感じ。
それを受けて何か思ってくれたりしたのなら、それは嬉しい。

ひとつの大きなアクションも大事だけども、普段から考えることも大事、
考えて変わっていくことも大事。
そんなことを思ったのでした。



だがしかし、このアクションはやり過ぎだよなぁ…

集団的自衛権反対で焼身自殺図る
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014062901001521.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

NEVARまとめ
http://matome.naver.jp/odai/2140401563937718401?page=2

と思うと同時に、なんとなく気持ちがわからなくもない、とも思いました。
多分当事者に暴力的に、例えば乗り込んでいってぶん殴る、とかで
意見を伝えることもできただろうけど、それじゃなにも解決しない。
意見を表明したいし、それを効力を伴ったものにしたいと思うけども、
他人への暴力は違う気がする。
そんなことを思っていたら、自分への暴力になりました、みたいな。
いや、実際どうなのかわかりませんけども。

ただどこにもぶつける場所を見つけられなくて、
でも意見は表明したくて、最終的に自分に向かってしまった、ていう
思考の流れ方はなんとなく共感できてしまった。
いや、実際どうなのか知りませんけども。

決して褒められる行為ではないし、恐ろしい行為なのだけども、
なんとなく納得してしまうような部分もあるな、と感じました。
そう感じてしまうのは、変なのかもしれないけど。


一番恐ろしいな、て思ったのはNEVARのまとめにまとめられている
ツイートの感じ。
写真を撮っていたり、冷静にツイートしている感じが、すごい不気味。
しかもコレだけ多くの人が。
でも自分もその場にいたら、そうなっているかもな、と思ってしまう。
それもまた、うすら寒い。
そしてそのまとめのおかげで情報を得られているのも、なんだか怖い。


なんだかもう、本当によくわからん世の中だな。
ゲリラ豪雨で靴が水浸しになって足が臭い、とか
そうゆう些細なことだけで悩みたい、ホントは。

眠た〜い!マキビシの上でいいから横になって寝た〜い!


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