2015/11/09

澄んだ水は、鏡になる。鏡に映るものはなにか。

深夜にブログ書くっていうのはまとまりにくいし、
良くないような気がするのだけど、やはりどうしても夜に書いてしまいますね。

8月からリハーサルを続けてまいりました、
IntegratedDanceCompany響-kyo「Border-境界」が無事終了しました。
ご来場頂いた皆様、スタッフの皆様、カンパニーメンバーの皆様、
そして振付のたきさん、統括の伊地知さん、ありがとうございました。

振り返ってみると8月からリハやっていたのか〜、と。
8月中旬からの約3ヶ月弱。
75分の、客席数100前後の2回の上演のために時間を重ねていくということ、
なんとも非生産的、非効率的なことに映るかもしれません。
それでも生の時間で、直接、作品を届けるということ。
そのことの価値を改めて感じさせてもらえたような気がしています。


ここ1ヶ月くらい
大規模美術展のレセプションでのパフォーマンス、
劇場での上演作品、
と製作期間もお金の掛け方もずいぶん異なるモノに「ダンス」という形で
関わらせていただきました。
「ダンス」というものの需要というか、
使われ方みたいなモノが広がってきていて
ダンス関係者もそれに合わせて考え方やら関わり方を広げていかないと、
てことなのかもなと思ったりしました。

「Border-境界」を上演したアサヒアートスクエアも
来年3月での閉館が決まりました。
http://asahiartsquare.org/ja/notice/
こちら、自分が大学卒業後初めて舞台に立たせていただいた
GRINDER-MAN「MUSTANG MONO」(2009年8月)の公演場所でもあり、
なんとも感慨深い思い。
大学時代に提携公演させていただいたり、
敬愛する演出家の作品で舞台に立たせていただいた
青山円形劇場も今年の3月に閉館、
どんどん面白い、良い劇場空間が無くなっていっています。

あるダンス批評家の方が今日こんなことを呟いていました。
https://twitter.com/muto_daisuke/status/663182591453851648
ああ、なるほどな、とても頷けるな、と。
もはやダンス作品を劇場で上演する、ていうことは希少で、
社会的に合わないことなのかもしれない。
それらを取り巻く環境の変化なども含めて考えると。
だから前述したように「ダンス」への関わり方を広げていかないといけないのかもな、と思ったりしています。

でもやっぱり劇場で見るダンス作品ていいよね、と思わせてくれる力が
今回の「Border-境界」にあったな、と思っています。
手前味噌なのかもしれないけど、良い作品でした。
2回しか上演出来なかったのがもったいないくらいに。
カンパニーメンバーの体力やスケジュール、それをとりまく環境、
劇場というバリアフルな空間、バリアフリーにリハできる稽古場の確保、
個人ではなんともしがたい部分多々あります。
純粋に、ただ作品に向き合う、向き合いたいと願う日々が
それを取り巻く環境や社会の在り方、綻びを映し返すものだな、と改めて。


とまぁ色々書いてきましたが、「ダンス」てなんだろうね、ていうのは
尽きない疑問だし別に「答え」を求めていないのかもな、て思います。
ですが、自分の中での「ダンス」ということへの「応え」みたいなモノが
なんとなく見えてきたのでそれを作品にしようかな、と思っています。

はい、年明けにソロ作品を久々にやります。

作家としての作品、というものよりは
ダンサーとしての、「ダンス」ということへの個人的な「応え」

そんな感じの作品になるんだろうなぁ、とボワッと描いています。
詳細はまた後日。

まだ年内いくつか出演予定も残っていますが、それも追々お知らせします。

なんだかんだで年明けからずっと作品になんらかのカタチで関わってきていたのも
取り敢えず一段落。
気がつけば今年も残すところ…52日ですか。
気がついたら年明けてるんだろうな、きっと。

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