2015/11/16

悼み。

昨日パリでISによる同時多発テロが起きました。
現地時間で言うと13日の金曜日なんですね…
911以来の衝撃的テロだ、と言う人もいれば
その前日にはベイルートでそれ以上の死者を出す自爆テロが起きていて
なぜパリの犠牲者にばかり祈りを捧げるんだ、という人もいる。
どちらも同じ尊さの命が失われているのに、と。

その通りだ、とも思うし
SNSで「Pray for Paris」を掲げる人たちの気持ちもよくわかる。
どのような順番で情報を手に入れたかで行動も考えも変わるだろうとも思う。
パリのことばかり悼んで、ベイルートを悼めてない…みたいに自己嫌悪したり
批判の種として使うよりはむしろそのことを教えてくれてありがとう、とか
好意的に捉えていけばいいんじゃないかな、て思います。

毎日沢山の人が殺されています。
日本でも年間約30,000人の自殺者、平均すると毎日90人くらいが自殺、
つまり自ら自分を殺しています。

※この自殺という考え方は遺書があるか否かなので
不審死を含めれば実際はもっと多い、3倍ぐらいと言われていますが…

その殺された一つ一つももちろん尊い命のはずで
だったらその人たちも悼めよ!みたいな揚げ足取り連鎖をしたいワケではなく
少しでもそういった殺される命が減っていくように
結局自分の今出来ることをやるしか無いんだよね、と思ったりしました。

死を悼む、それは殺された人たちが生きるはずだった未来を
より良くしていくために今を生きる、ていうことでいいんじゃない。
かといって重く考えすぎずに。
やれることしか出来ないものです、人間。
しっかり生きるってことですね、きっと。

そういえばこの夏、作家の高橋源一郎さんがそんなこと言ってた気がする
ていうのを思い出したので貼っておきます。
http://politas.jp/features/8/article/452

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