2016/06/21

政治的っていう話から、プロ論。ぷろろんて平仮名で書くとかわ...(ry

蒸し暑く、嗚呼梅雨っぽいなぁ、と思いながらも
今年はずいぶんと雨が少なく、水不足が心配されます。まだ今年は蛙を見かけていない。

今日は井の頭公演まで知り合いのの方がゲスト出演されていた
野外劇団楽市楽座の「ヨイショ、コラショ」を観に行ってきました。
ここ2〜3年くらい劇団どくんごを観るようになって旅する野外テント劇を見るように
なったのですが、毎回出演者の方の出演、音楽演奏のみならず裏方表方も
こなすオールマイティさに感心させられます。
翻って、色々なスタッフの方々に支えられて、
専門で役者やダンサーに没頭できるのであればもっと真摯に深く、
それぞれのことに 取り組まないといけないよなぁ、と自戒を込めて思います。

自分たちの手で、自分たちのやりたいことをゼロからやる。
そこには表現としての縛りや規制もなく、
真の表現、エネルギーの濃さなのだろうなぁ、と思ったり。

そんなことを思ったのは、今日(自分の)TwitterのTLで騒がれていた
「音楽に政治を持ち込むな」問題。
概略→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160620-00010004-trendnewsn-ent

難しい話だ、と思いつつ...
メジャーなアーティストや公的なお金で運営される作品であればあるほど、
公平で偏りのない、多くの人が楽しめる作品であるべきだ、ということなのか。
でもそもそも表現である以上、ある個人による偏りのあるものだとも思う。

表現の価値とはなにか...

なにか醒せてくれたり、新しい価値を見出させてくれたり、
明日からの元気をもらえたり...
色々だと思います。
色々なフィルタや規制、自粛を通して成り立っているのでしょう。

劇場という空間の規制、助成金という圧、受け手の意見、クライアントの狙い。
人に観せる、観てもらうという関係が成り立っている以上、
そういった諸々とどう折り合いを付けて自分のやりたいことをやるか。
バランス、ということなんでしょうか。

今日楽市楽座の野外劇を観ていて、そういったしがらみとは無縁な
自分のやりたい表現、エネルギーを感じ、
何の為に作品を発表するのか、劇場という制度、芸で食べていくということ、
表現で食べていくということ...色々なことを考えさせられました。


クライアントがいる案件などを別として、
自分が活動する舞台芸術の世界において、出演料が発生する作品というのは
基本的に助成金、公的なお金が動いている作品です。
つまり、自分がダンサーとして得ているお金は基本的に公的なものです。
そう考えだすと、自分のダンスというモノは誰のものなのか。
振付をする振付家のモノか、それとも振付家に助成している公的な機関のモノか。
はたまたその公的な機関にお金を納めている人々の一部である観客のモノか。
そこには色々な考えがあるだろうし、明確な答えはないでしょう。
でもそういったことを考えていくと、自分のやりたいことってなんだっけかな、
というのが見えてくるような気もします。

そんなこんなに思いめぐらせているうちに思ったのは
プロというのはその道でお金を稼いでいる人のことというよりも、
お金が発生するしないを別として、そのことに全力で取り組む人のことだ、ということ。
そうゆう人たちと仕事がしたいし、自分もそうありたい。

野外劇の話から政治的な云々から始まってプロ云々みたいな話にトンで、
相変わらず良くわからないと思いながら、
よくわからない繫がり方するから面白いよね、とも思う。

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