2011/11/24

たがため。

日曜日まで大阪は阪南市へ行っていました。
9月に公演でお世話になったDance Theatre LUDENSが財団法人地域創造の
公共ホール現代ダンス活性化事業というのに参加していて
そこで「1 hour before sunset」をやるということで
出演者&アウトリーチ・WSのアシスタントとして。

色々考えさせられ、やる気を頂いた5日間でした。

劇場ではWSを行い、作品のクリエイション・発表を。
作品は今年の2月に吉祥寺で上演したLUDENSの作品「Anonym」から
いくつかシーンを抜粋し、ベースにした作品だったのですが素敵でした。
2月の「Anonym」は観客として観ていたので作品自体を知っていたというのも
あるのかもしれませんが、今回のWS作品も素敵な作品でした。

WSクリエイション作品はいわゆる「コミュニティダンス」と
呼ばれるものだと思うのですが
その作品に多少携われたことで「ダンスとは何か?」ということを
考えさせられる。

一般の、とくにダンスの鍛錬をしていない人間がダンスを踊るということで
生の、剥き出しのその人が立ち表れてくる。
「ダンサー」としてではなく、その人自身が踊っている感じ。
それがとても素敵でした。
舞台に立つときにどこかスイッチが入ってしまい、
無表情で、よく動く、純粋な「身体」としての「ダンサー」に
なってしまいがちなもの。
自分もそうなってしまうことがあるし、舞台を見ていても
「あー…自分の世界入っちゃってるなー」というのがよくある。
「ダンサー」感がなく、その人自身が踊っていてとても良かったなぁ、と。
正確に言うと、自分の世界に入っちゃっている部分
あったのだと思うのですが、動きに「意思」を感じたというか、
自分で舞台に立っている感じがすごくよかったです。

今まで稽古などで「意思」で立つとか、「意思」で動く、
ということをよく言われてきたのですが
そのことを客観的によく見れ、理解が深まりました。
その人が「意思」を持って動くこと、それが「ダンス」なのかな、とか
「私」を操縦することが「ダンス」なのかな、とぼんやりと考えたり。
まぁ答えがあるわけではないのですが。

ただ、このコミュニティダンスというか、一般の人のWS発表作品て
観ていて面白いものなのだろうか、という疑問が。
ダンスをやっている人間にとっては新鮮味があったり、
「ダンスとは何か?」とか「ダンスは必要なのか?」といった
よく俎上に乗るダンスの存在意義を証明してくれるような気がして
いいのかもしれないですけど
それだと「ダンサー」のために「一般の人」が踊っている感じ。
自分の感想がやたらと好意的なのもダンスをしている人間だからだと思う。
「一般の人(観客)」のためになっていたのだろうか、という疑問。
現に「よくわからなかった」と表明してくれた人もいたわけだから。
(でも「よくわからなかった」=「わかろうと努力した」結果→興味あり?)
WS受講者の方は皆「とてもいい経験だった」と言ってくれるし、
それは嘘じゃないと思う。
となると「ダンス」は「観る」ものではなく「踊る」ものなのだろうか?


踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々


ってこと?
「ダンスとは何か?」という「ダンス」の存在意義を考えていると
そこにたどり着くものなのかな〜
そしたら作品として観せる「ダンス」は何を目指せばいいのやら…

なにやら自分でも書いていてよくわからないし、
そもそもこの記事書き始めたの一昨日なのに未だまとめきれてないしw
まとめると、色々考えるきっかけが出来てよかったです、てことで。


しかしながら今回WSやアウトリーチを通して
WS終わりとかに講師の方が「こちらも沢山学ばせてもらいました。」て
よく言うけどそれは本当なんだな、と実感。
こんな感想でいいのかw

でもそれは本当のことなのだ。


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