2012/05/31

モラルの崩壊が生むのはルールの束縛。

最近は歯の治療をしたりなんだりして過ごしております。
時間がかかることなので公演やら稽古やらが始まる前にしておこう、と。
やはりコーラは歯によくないそうです。
あと激しく踊っていると歯と歯がこすれて、歯ぎしりしているような症状が
見られるそうです。
歯を磨くのは食後30分以上空けた方が良いそうです。
食後すぐは口内が弱酸性で、その状態で磨くと歯が痛むそうです。
最近仕入れた歯の情報。

さて、本題。というか、アーカイブとして綴っておく感じ。
ここ数日twitterやらFacebookを少々賑わしている「バナナ学園」の件。
ことのあらましは下記URLを参照していただければ。
http://togetter.com/li/311063

でもって今年の秋に開催の決定したF/T12の公募プログラムにバナナ学園が
選出されているということでそちらに飛び火し、
去年のカオス*ラウンジやPortBなどにも拡大していく炎上っぷり。

「表現」であるから許される、とか「芸術」であるから許される、とは
別に思わないし、そんなところで高尚ぶる必要はない。
むしろ、そんなことしてるから未だに「芸術」や「表現」への
神聖視というか「隔たり」のようなものが消えないのでは?
被害者が出てしまったのならそれは問題。
当事者同士が解決していけばいい。
当事者同士で解決できないのなら司法に頼れば良い。
第三者があーだこーだと出てきて粗探ししても解決するどころか
めんどくさくなる一方。
祈り狩り(http://togetter.com/li/177689)と同じ。
被害者と加害者、「あなた」と「わたし」の関係性で解決するのが一番良い。

どんな表現であれ、誰かを傷つけることがある、ということ。
http://d.hatena.ne.jp/saebou/20120529/p1

でもそれは「表現」に留まる話でもない、ということ。

今回の炎上を眺めていて思ったことは
どんなに演出家が頑張ろうと、
最後に舞台に立つのは「出演者」だということ。
演出家が「出演者」を兼ねることはあるにしても、
最終的に表現するのは「出演者」であり、
「出演者」が負わなければならないものはある。
それは演出(=演出家との約束)であったりモラルであったり。
「出演者」は簡単に舞台を台無しにすることも出来る。
それは「観客」にも言えること。
「観客」が突然舞台に上がって、踊り叫んでしまえば簡単に舞台は破綻する。
舞台というのは「出演者」と「観客」の暗黙の共犯の上に成り立つもの。
だけども「出演者」と「観客」は全く違うもの。
そこを履き違えない、舞台は「観客」と創り上げるものという甘い言葉に
惑わされてはいけない。

舞台に立つことって大変なことなんだな。

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