2017/01/01
ス。
あけましておめでとうございます。
旧年は大変にお世話になりました、と言いますか
駄文にお付き合い頂きありがとうございました。
今年は2017年。
"2017"は素数です。"2017"の"2"と"1"と"7"も素数です。
"0"に関しては…素数なのかはよくわかりません。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1352181478?__ysp=77yQIOiHqueEtuaVsA%3D%3D
http://media.qikeru.me/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%95%B00/
こんなことも書かれているの、よくわかりません。
そんなことは置いておきまして。
"2017"は素数なので、皆様の2017年が素敵な、素晴らしい年になりますように。
と、きれいに冒頭を締めようかとも思うのですが
年賀状の印刷するためにデータをコンビニで出力するも誤字脱字を発見したり
色がきれいに出なかったりで光沢紙印刷を自宅と行ったり来たりしながら
3回も繰り返すという、ね。
そんなに苦労して印刷して書こうとしている年賀状も
業界的になのか世代的になのか、数が両親と比べて圧倒的に少ない、
というか元旦に届いたのは美容室からの1枚だけでショボーンとしてますが。
そんなすべり出しの2017年。
さて、2017年の話をする前に、2016年を軽く振り返っておこうかと。
年間を通してありがたいことに様々な作品に関わらせていただきました。
2016年を終えてみて思うことは
「ダンス」はもっと自由でイイ、ということ。
劇場という空間に、60分というパッケージに落とし込まなくてもイイ、
もっと自由であるべきだ、ということ。
逆に言えば劇場という空間に何を求めるのか、何を求めているのか。
劇場のプロセニアムアーチ のことを額縁、と言う様に
劇場の作品に私たちは価値や作品性を求めるのだと思います。
この辺りは2016年6月のブログでも触れていて、今自分でも読み返して
ほー、なるほどなー、と思ったりもします。
小劇場の置かれている状況みたいなことについて
2016年の新作ソロ「be here」や
大人少年「現代劇作家シリーズ5:J.P-サルトル『出口なし』フェスティバル」で
お世話になったd-倉庫の林さんが文章でまとめていたりするのですが
劇場に持ち込んで作品化する、ということにある種抵抗みたいなモノが
生まれているのかもしれないなぁ、と思ったりもします。
作為性や演出、物語性が疎まれるような。
リアルや本当である、ということばかり作品に求めているのかもしれません。
まぁ現実的な話をすると予算的に難しい、てことなのだと思いますけどね笑
そんなことを思ったりしましたので、
劇場で作品やるならガッツリ「作品」 という感じのことをやるべきだな、と。
2016年はソロしか作っていなかったので今年は作品作りたいなー、て
思っています。
でもそれも上演作品に限らず、映像でもいいのかも、と思っています。
さっきも述べた様に「ダンス」はもっと自由でイイ、ですし。
劇場で作品やるなら「ダンス」ということにこだわらず、
もっと総合的な作品として作り上げられたらいいな、と。
なんかねー、最近はもう「ダンス」がどうのこーのっていうことより
ダンスや身体という方法論を、ベースを使ってなにかする、
ぐらいのざっくりした感じでイイ、と思っています。
それは作品を作ることに限らず、環境づくりとかでもいいのかもしれないし。
コンテンポラリーとかヒップホップとかバレエとか、
ジャンルでぐだぐだ言うのも面倒くせーや、てな感じです。
はい、突然口調が悪くなったような気もしますが...
そんなこんなで2017年の目標は「変化」と「挑戦」にしようかと思っています。
なにかと移ろいゆき、不安定で、先行きの見えない現代ですが
その変化に対して柔軟に、迷いながらも清濁併せ飲み
サバイバルしていきたいです。
このような感じで、相変わらずのペースでやっていきますが
本年もよろしくお願い致します。
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