2017/01/24

3割打者がスゴい。

気がついたら1月も終盤。
はー、こんな感じで2017年もどんどん過ぎていくのでしょうね。
でも逆に最近過ぎ去ったことも振り返ってみるとずいぶん前のことの様に思たりして。
時というのはF1のレーシングカーみたいなイメージなのかもな、て最近思います。過ぎ去る目の前の瞬間は最高速度で、
過ぎてしまえばアッと言う間に遠くに行ってしまう。
物理的な感覚と似ていて、遠くだとそんなに速く見えないけど近くだと速い、みたいな。

前置きとはとくに関係なく。

ことあるごとに炎上するキングコングの西野さんの、最近話題になりました「お金の奴隷解放宣言」。
モノづくりに関わる人たちが色々なリアクションをするの、よくわかります。
西野さんの言うことはよくわかるし、現に本の売り上げも伸びているわけだからプロモーションの一環として
考えればいいんじゃない?と思いました、個人的には。
やり方として上手い、というか現代だから出来るやり方だろうし、今後似たようなケースは増えてくるだろうと思う。
フリーミアムっていうんだってね、ブログに書いてあったけども。
ただこうゆう捉え方はもちろんあるし、 中村祐輔さんが言う様に お金と職業としてのクリエーターの距離感を考える必要は
あるんだろうな、て。
距離感の取り方に失敗したり、あまりにそれに慣らされてしまうとこうなったりするし。
アーティストやクリエーターは慈善事業でやっているわけではないので。趣味でやっているのなら別ですが。
結局ね、お金をもらえないとそのことに一番時間を注ぐことが出来ないのですよ、生活があるから。
逆に言えば時間を捧げていることをマネタイズする必要があるのかもしれないけど。
ライフワークとライスワークで分ける、という考え方もありますが、それは個々人の考え方だし。

とまぁこのゴタゴタを見ていて思ったのは、モノ(実物)ではない表現では何が可能か?ということ。
そんなことを思っていたらちょうどこんなTweetがTLに。





なるほどなー、確かにその通りだわ。
打率3割がスゴい、みたいなことですね。わかる人=安打数だとして、分母を増やせばいい。

ではどうしたらいい?

思うに「ダンス作品」と「ダンス」を分けて考えることと、「劇場」と「ダンス作品」を分けて考えるべきなのかと。
「ダンス」はもっと気軽に見れたらいいし、もっと気軽に踊れたらいい。
恋ダンスがものすごく広まったのは気軽に見れたし踊れそうだったし、てことだと思う。
で「ダンス」に興味を持ったら、お金を払って「劇場」で「ダンス作品」を観るのだと思う。
だったらまず「ダンス」に興味を持ってもらえる様に、「ダンス」という球を沢山投げ続けないといけないのだ。
前のブログでも書いた様に発表の場はなにも「劇場」だけではない。
「ダンス」を知ってもらう、興味を示してもらう必要がある。
だっていきなりチケットのお金払って劇場に行って作品観るのって、ものすごいリスキーだしハードル高いもん、普通に考えて。
ミュージシャンでいえばライブに来てもらうことな訳だから、そのきっかけであるCD的なポジションを「ダンス」でどう設定できるか。
最近興味あることはそうゆうことなのかもしれない。
作品を説明することとか、ネタバレについて考えることとか、そこに繫がっているような気がする。
Instagramに自主練の様子を載せるのもそれの延長だと思うし。

今年はそのへんをより意識的に活動してみようかな、と備忘録的に。
とりあえず炎上させたりなんだりしているヒマあったら球投げたり技術磨いたりしたりしたほうがいいと思うので、
地道にコツコツやります、自分は。

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