2016/11/08

戦争反対という、幻。

最近ブログの更新頻度が多いですね。…ええ、ご察しの通りヒマなのですよ。
とはいえ、12月末に出演する機会も頂いたのでまたそのリハが始まるので
束の間のヒマを楽しみつつ。
パフォーマンスの詳細は後日お届けできるかと。

さて、今日は昨日Twitterでこのような連投を見まして。
以下まとめ↓(Twitterの新機能でモーメントっていうのできたんですね)
"三浦英之(朝日新聞アフリカ特派員)記者のつぶやきより南スーダンの現状" 
https://twitter.com/i/moments/795265656597848065

この記事を読んで、そしてその日のTwitterのTLの出来事が重なり
戦争反対、ていうのはなんとも虚ろな言葉だな、と思いまして。

とても耳障りのいい、言葉。
なんの反論の余地もない言葉。
しかしながら、なにも実のない言葉なのかも、と。
本当にそう思っているのかい?ということが問われる言葉な気がしました。

現代の戦争は非常に複雑で、政治も多く絡んでいます。
つまり、戦争って政治的なことともいえます。
「アーティストには政治的な話はしないで欲しい」
よく聞くことです。
https://www.instagram.com/p/BMaGgxhhwRi/
でも戦争反対、というアーティストにはきっと迷いもなく賛同するはず。
「アーティストには政治的な話はしないで欲しい」と言うことが
そもそも充分に政治的だし、
戦争反対、と言うことも充分に政治的なハズ。
政治的な発言をするアーティストが必ずしも政治的な作品を作る必要も義務もない。
でもそのアーティストの魅力ということには繫がるかと思います。
それは別に政治的な発言に限らず、なにに興味を持っているかということもそうだし、
アーティストに限らずどんな人にも当てはまることなのだと思います。

戦争反対というのであれば政治のことも話せ、ということともまた違うのですが
戦争反対、というだけで戦争が無くなるはずもなく
戦争の現状に目を向け、微力ながらもできることがあるのであればする。
それはニュースに関心を向けることかもしれないし、
日々周りの人たちに優しくすることなのかもしれないし、
一見全く戦争と関係のないことなのかもしれない。
何事に対しても何かしらやれることはあります。
結果何も変わらないことももちろんあります。

それでもやれることはある。
そしてそれは自分で決めればいい。

簡単にいえば言行一致てことだと思いますが、大事だよな、と改めて。
言葉はいくらでも理想を紡げるけど、理想を現実にするのは行動。

そしてこの文章も言葉で綴られるのです。

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