2013/11/06

型と即興。

うん、ちゃんと定期的に書くことを決めておくと更新できるものですね。
今日も独りで自主練を。


稽古場についたものの、妙な狭さというか部屋の白さというか、床硬いし
なんだか違和感を覚える稽古場でモチベーションがなかなか上がらず。
独りで稽古する時はモチベーション上げが難しく、
稽古場の選び方も大事だよなー
と、半分もう今日は無理な雰囲気を醸し出しながらウダウダ始める。

そんなウダウダとウォーミングアップをしながら思ったのは
こうゆうときに「型」があるというのが便利なのだな、と思う。
モチベーションが上がらなくても、ある一連のものを経由することで
身体のコンディションとともにモチベーションも上がってくるような。
例えばバレエのバーレッスン、とか。

以前にTwitterでも呟いたことなのだが、
身体というのは日々の積み重ねの賜物、結果であるということ。
定期的に同じクラスに通ったらそこの身体が身に身に染み付くだろう、と。
だから例えばカンパニーとしてオリジナリティーていうのは
どんなクラス、メソッドが使われているのか、っていうことなんじゃないか、とね。

「型」として何度も何度も身体を通したものはやはり身に滲みていて、
「型」を通すことで身体がリセットすることもあるのではないだろうか。
個人にとってのベーシックな身体とか身体使いが「型」を通してよみがえる、
「型」を通してそこにリセットされる、みたいな考え。
小野寺さんとご一緒させて頂いた時にした「型」を身につけるといい、
みたいな話はこうゆうところにも繫がってくるんでしょうね。

「型」を持っていない自分にとっての「型」≒ベーシックな身体って
なんだろうなー、と思いながら
先日8月の公演の稽古の時にアップでいつもやっていた動きを
やりながら分析してみる。

ひとつ見えてきたのは背骨をベースにしたような身体の考え方があるっぽい。
というか骨の連動性とかコネクション、みたいな話。
なるほどね、やはり長いことご一緒している方々の影響は色濃いのだな、と笑

あと胸・肩周りを意外とグニャグニャさせる動きがベースにあるな、
という発見。
アイソレーション的というか外力的な動きというか
かなりざっくり言うと人形振り的とか、
糸とかで引っ張られるイメージの動き。
多分大学在学中に初めて作った作品の監修でマイムの先生が入ったのとか
その作品の時にトレーニングの参考としてhttp://amzn.to/HHfFPh
使っていたからとかが関係してるんだろうな。
フムフム、こうやって分析すると面白いな笑

でもあれなんですよ、胸・肩周りがグニャグニャするっていうのは
肩周りの柔軟性に富むっていうのがある一方で
胸の安定性が弱い、っていう弱点もある訳ですよ、コレ。
モノを使って動いたりする時に意外とこの胸の安定性のなさっていうのは
表現としてネックになるらしく、
だから意識的にそうゆう弱点はカバーしないとね、てこと。



そんなこんなでウォームアップしていたら意外と楽しくなってきて
そこに階下から邦楽を奏で唄う楽しげな様子が。
よし、じゃあ今日はコレに合わせて即興してみますかってことで。

で、その様子を動画に納めて分析してみたり


フームフムフム
胸・肩周りグニャグニャしてますね笑
とりあえず思ったのは…

・手の形って大事
・ちょっとした瞬間の肩のラインの違和感
・ジャンプ全くしないな、この人
・動きの既視感というよりも静止とかスピードとのメリハリ
・正面性って知ってる?キミ

てとこですかね。
手の形っていうのはずいぶん前にGRINDER-MANの稽古の時に言われたなぁ…
つねに卵を握った形をしている、みたいな笑
でも手の形って結構重要で、全然質感が変わってくるんですよね。

スピードのメリハリに関してはやはり大事だな、と。
即興をやる時にしても振りを作る時にしてもリズム感というか、
時間の流れ方みたいなのはもともと結構意識しているとはいえ、
もっとやってもいいんだ、ということなんだな。
ベタ過ぎるだろ、この展開は…ていう時間の変化も
やはりベタはベタというか王道というか、ある種安定してハッとさせられる。
無意識的にそのベタを避けがちなんだろうけど、
そこには絶対的では無いにせよ、なんとなくの正解・不正解がある。
だから「間が悪い」と思ったりするわけです。
あと「とまる」とか「待つ」が舞台上で出来る人は強い、
っていうのが持論であるのですが、再実感。

ジャンプしないなのは…ジャンプのボキャブラリーが少ないのだね、この人笑
次やる時はちょっと意識してみようかと思います。

ちょっとした瞬間の肩のラインっていうのは…なんだろう?
漫然と動いちゃっているということなのだろうか?意識が通ってない感じ。
これは全くのテーマ無しで動いているわけですけども、
即興とはいえなにかテーマは必要というか、拠り所があった方が
観ていても面白いし、強さがあるんだろうな。
それはなにも身体のインテンションに限らずとも
音楽とかでもいいだろうし。


話はかなりズレますが、
先日仮面をつけて即興をする会というのに参加させて頂いた時に
役者とダンサーの即興って違うんだな〜と思いました。
ダンサーはその場でそのまま身体を動かしていくのに対して
役者の方はキャラクターとか物語をその場で設定して、それを表現する、
みたいな違いを感じました。
その時は多分持っている表現言語の違いがそこに出ているんだなぁ、とか
「即興」という言葉の厳密さの違いを面白く思っていたのですが
よくよく考えたらダンサーも動きのルールを決めて動いた方が
強度はあるんだよな、と今日思いました。
というかもともとそれは知っていたんだけど、思い出した感じです。

だから本当に即興と言われた場合でも、どのようにその場で「ルール」を
提示していくか、ノッていくか、逸れていくか…
それが即興を面白くするのだと思います。
よくよく考えればコンタクト・インプロヴィゼーションも
「コンタクトしている」というルール(≒縛り)があるってことなんだよね。


はい、話は戻りまして…
いや、多分とくに戻りはしないのだろうけども。
なんだかいろいろ発見とか再実感がある充実した稽古でした。
最初は自分で動画撮影して分析するだけじゃなくて、
それをblogに載っけちゃうとか正直どうなん?と思ったけど
意外とこうやって記録しておくと後々読み返した時に面白かったりするのは
実感としてあるので、今後もやろうと思います。
でもあれだ、web上にアップしても恥ずかしくないモノにしないとアカンですね。

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