2013/11/01

動きの近似値をとる為の「振付」

でた、ブログ放置。
およそ2ヶ月も放置してしまいました。
まぁさしてブログに書くようなことが無かったと言えば無かったのですが、
北海道に行ったりしてました。
…絶好のブログのネタなのにね、北海道旅行とか笑
今度暇な時にまとめます、多分。


最近、といっても今日でまだ2回目なのですが自主練をしています。
目的としては来年の1月にやるソロ作品のためのリサーチと
振りを作る能力の向上、即興ではなく振付で動くということを考えるためです。
というのも、どうやら自分は即興で動く方が良い動きをするらしく、
それもなんだか癪な話だなぁと思いまして。


そんなこんなで放置気味だった訳ですが、
その放置予防の為にも今個人でやっている自主練習のことを備忘録的に
まとめておこうかなー、と。
練習中に思ったことやら、考察などをちゃんと文章にすることで
また見えてくるものがあるのかもしれないし。


今日は「振付」について考えながら稽古を。
1月にやろうと思っている作品はなにか形をとっていく動きとか
シームレスな動きのコンビネーションというよりも、
あるイメージとかインスピレーション、
身体の仕組みをベースに作ろうと思っていて
でもそれが「即興」になりたくはないなぁと思っています。

となるとどこからが「振付」で「即興」なのか、みたいな話になってきて
「別にそんな定義付けとかどーでもよくね?」とも思うけれども。


話は戻りまして…
とりあえず今日やってみたのは動詞?インテンション?のみを決めておく。
それも「振付」なんじゃない?てことで。

(例)
右の掌の匂いを嗅ぐ

多分動き的には即興的なものになるから動きの完全な再現性は無い。
でも動きとしてのクオリティーの近似値はとれる、はず。
「振付」とは動きの再現性を作ることなのか、ていう疑問も出てきて面白い。
フォーメーションとか群舞とかになってくると
再現させるため、合わせるための「振付」が必要になってくるのだろうけど
もうちょっとざっくりした「振付」の考え方があってもいいのではないかな、てこと。

そんなこんなを考えていたらカウントで踊るのか、カウントと踊るのか、
音楽で踊るのか、音楽と踊るのか…
言葉のあやかもしれないけど考え方としては大事なのかな、と思ったのです。
カウントで踊れていても、他の人とは踊れていない、ということはありえる。
群舞として何を重視するかってことなのかもしれないし
最終目的が何なのかってこと。
みんなで合わせることが目的で、その方法論としてカウントを使うのか
カウントに合わせて踊ることが最終目的なのか。
そういったことも頭に浮かんできて、やはり文章化するというのは面白い。


今日思ったのは「振付」というものに何を求めるか、
てことなんでしょうね、多分。
動きの再現性なのか、意識のフローなのか。
それはきっと振付家によって異なることだろうし、好みもある。

なんとなく今日腑に落ちた考え方としては
『動きの近似値をとる為の「振付」』という考え方。

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